小説以外のもの 書評

織田信長の城│加藤理文

「織田信長の城」
加藤理文
講談社現代新書

織田信長の城といえば、いわずとしれた安土城。安土桃山時代と称されたように、安土には絢爛豪華な文化が花開いていました。

ちなみに、安土桃山時代の桃山は、秀吉の拠点となった伏見城──京都伏見を指します。

信長の革命的精神をあらわす安土城ですが、じつは信長というのは安土城以前にも凝った城を作っています。美濃に進出したときは岐阜城を建設し、さらに岐阜城以前でも尾張で小牧城を築いています。そしてこの本はその小牧城までさかのぼって、信長の築城を解き明かそうとしているのです。

小牧城をつくろうとした理由がひじょうに興味深ったのですが、信長が小牧城をつくったのは桶狭間の戦いのあと、すなわち桶狭間での失敗が教訓となっています。

──ちょっと待った。

桶狭間の戦いは戦国屈指の大逆転劇のはず。その桶狭間に、どんな失敗があるというのでしょう。

”だが、桶狭間合戦の記録を見ると、鷲津・丸根両砦が攻撃されていることを聞きおよんだ信長が、単騎出陣した時に後を追ったのは小姓衆わずか五騎であったとされる。熱田に着いた時点でも、騎馬六騎と雑兵二〇〇人ほどしかなかった。”

”二万五千余という未曽有の大軍である今川軍が領内に侵入しているにもかかわらず、迅速な兵力結集ができない現状を、信長はもっとも憂えたのである。”

”二千余ほどの信長軍がこの大軍を撃破するには、義元本陣を奇襲し、義元を倒す以外に方法はない。ところが、清須在城段階の信長家臣団は、清須に屋敷を持つものの、普段は領内にそれぞれが居所を持ち、そこを根拠としていたため、いざ合戦となっても守護所清須に参集し、信長の下知を待つほかなかった。その時信長は、迅速な兵の結集と行動の必要性を強く感じ、旧来の守護所では対応できないことを痛感したのだ。”

つまり小牧城は、

”兵力の迅速な結集と行動を可能にすること──中世的な家臣の散在居所ではなく、大名の城を中心とし家臣が集住する後の城下町の嚆矢が、ここに誕生しようとしていた。”

を目的としてつくられているのです。経済政策に目がいきがちですが、信長は城も秀逸ですね。

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