小説以外のもの 書評

参謀│森繁和

『参謀』
森繁和
講談社文庫

落合が監督をしていたときの中日は、静かで、不気味な雰囲気が漂っていました。なにか仕掛けてきそうなムードがあり、徹底した情報管理も然り、相手からすればいつ奇襲を仕掛けてくるのかわからない不気味さがありました。

特に2007年のクライマックスシリーズでは、巨人は完全に中日にしてやられています。大方の予想が右腕の山井の先発だったところ、中日は左腕の小笠原を先発にぶつけ、これで主導権をにぎりました。

このときの状況を森は、

"小笠原はケガから復活したばかりだったので、阪神戦で中継ぎでテスト登板をさせておく必要があった。クライマックス第一ステージで中継ぎ登板させておけば、投げたばかりなのでカモフラージュにもなると思っていた。"

"結局、山井を先発と見て、左バッターを7人並べた巨人をあわてさせたのだろう、小笠原が好投して勝利、その勢いで3連勝して日本シリーズに進み、初めての日本一になれたのだった。特にあの試合から巨人は中日に対し妙に疑心暗鬼になってくれて、こちらのローテーションの谷間にはよく当て馬の選手を先発メンバーに使ってくれるようになった。"

と語っています。

これは周到な策、完全に中日の作戦勝ちです。このときもそうですが相手にとって不気味といわれた落合采配は、実はヘッドコーチ森の策であることが多いのです。当時、落合を隠れ蓑にして、森は投手起用のすべてを握っていました。なのにマスコミは、落合から必死に情報を引き出そうとしていたのですから、これでは情報が得られないのも当然です。

落合の策、いや、森の策に嵌った巨人は、クライマックスシリーズでなすすべなく三連敗を喫します。

なお、このあとシーズン2位で日本シリーズに進出した中日は、日ハムを倒して日本一となります。その日本一をきめる試合でおきたのが、山井の完全試合未遂事件です。ひょっとしたらこのときに山井がクライマックス初戦で投げていたら、あの<完全試合投球/パーフェクトピッチ>はなかったかもしれません。球界を揺るがした大事件に、森繁和はかくも深くかかわっているのです。

■マスコミと落合

王者・巨人を手玉にとる老獪さをみせた中日ですが、マスコミが中日を称賛することは、終ぞありませんでした。中日というか落合は、とかくマスコミに嫌われていました。徹底した情報統制を敷く落合体制は、マスコミの目に旧態依然の管理野球と映り、堅実かつ現実的な采配を"勝利至上主義"やら"非情采配"と書きたてました。その論調は非難一色でした。

また侍JAPANに中日選手が参加しなかったときも、マスコミはそのことを問題視しました。中日選手辞退の裏に落合があるとみて、落合陰謀説を、諸悪の根源のように書きたてたのです。

当時はボヤキ会見で記者をにぎわせた野村監督が去ったあとで、スポーツ新聞は、落合を野村の後継者───真に野球を知る者として見るむきがありました。落合本人がそのことを意識していたかどうかは定かでありませんが───おそらく気にもかけていなかったでしょう───が、記者会見で落合に野球を語ってほしいというニーズは、そのときまちがいなくありました。 

しかし、落合は目指す野球について口を開くことはありません。試合後も、巨人に三つ負けてもほかで三つ勝てばいいとか、選手はよく動けているとか、本音とも躱しともつかないコメントを発し、取材陣を煙に巻いています。コメントがとれないのですから、マスコミにしてみれば恨み節のひとつもいいたくなるでしょう。当然、落合の印象は悪くなります。

こういった経緯もあり、落合は必要以上に叩かれました。そして、今もマスコミにたたかれつづけています。これだけ実績のある選手、監督ですから、そこまでしなくてもいいと思うのですが。

■落合悪玉説

誌面をおおいに賑わせた非情落合ですが、「参謀」を読めばそれがマスコミがつくりあげた虚像であることがわかります。はっきりいうと、あれは捏造です。

森はマスコミ対応について、

"そのとき、いやな思いをしたのは、歩きながら何人かの記者としゃべっていると、最初から最後まで聞いていない記者があとで記者仲間から一部を聞いて、ニュアンスの違うコメントを記事にしてしまうようなことが毎日のようにあったことだ。その記者を呼び出して聞いたら、「仲間から聞いて書いた。上の者に見出しを変えられた、原稿を切られた」と弁明した。"

と語っています。これは、本人の言だけに信憑性があります。

また「参謀」のなかで森繁和は以下のように語っています。

"野球界は「ムラ社会」で、持ちつもたれつなところがあるから、プロ野球業界も全体で繁栄してもらわないと、選手やコーチの再就職先も限られてしまう。中日は、特に親会社が地元のマスコミだから、名古屋のテレビなどにもしがらみのあるスタッフ、特に中日OBがおり、将来お世話になるであろう選手も多い。だから、「これだけどうしても教えてください」「仕方ないなあ、ココだけの話だぞ」といったことになる事情は想像できる。"

"たとえ本社、フロントの人間にも、そこから新聞記者たちに漏れていきそうな要素は絶対に口外しない。情報が漏れたなと感じた場合は、絶対にそのルートを調べ上げる。情報を漏らしがちで信用できなくなったコーチは、二軍に落としてしまうなど配置転換したりして、シーズンオフには辞めてもらったりすることが多かったのだ。

そして、そういうコーチはどうしても、球団上層部や、名古屋にしがらみのあるコーチ、特に中日OBに多くなってしまうことになる。年を追うごとにどんどん、チームのコーチ陣、スタッフから中日色が薄れていったのだ。"

つまり落合は監督就任時に、情報管理を絶対の教義/ドクトリンに掲げ、それを徹底しました。情報を流したコーチに遠慮なく引導をわたし、次の契約を結ばなかったのです。結果、マスコミと縁のあった中日出身のコーチが、落合体制から消えていくことになります。

困ったのはマスコミです。以前ならコーチ陣にたのめば簡単に入手できたのに、落合によって情報が断たれた格好になりました。いつもなら持ちつもたれつでやっていた関係が、今回はそれが通じません。ネタがとれないから、マスコミは情報統制と書きたてます。こうやってヒステリィのような論調がはじまったのです。世論捜査を目的としたマスコミのヒステリィ。

仮にもマスコミなら、矜持をもって取材すればいいのですが、落合は生半可な質問を受け付けません。くだらない質問をする者に対しては、容赦なくNOを突きつけます。

その姿勢は森もおなじらしく、

"さらにはこれは監督に限らないが、私も自分の野球を理解してくれない人には、報道陣でもしゃべらない。自分から理解をいちいち求めない。だから、いろいろと誤解も招いたのだった。"

と語っています。これは当時の反省というより、どこかあきらめのようにも見えます。落合がわるいというより、マスコミが情けないのです。

■監督・落合

森繁和は、落合の懐刀となり、中日を陰からささえた名参謀です。その男が語る内情は、奇しくもマスコミが報道してきた内容とは真逆のものでした。そして、そこに、この本の価値があるとおもいます。マスコミは落合を、冷酷・非情とかきたてましたが、森からみた落合の印象はまるでちがっています。

"アイデアは豊富だが、必ず言うのが、

「オレは人脈も政治力もないから、シゲがやれ」であった。

監督に言われたチーム強化のアイデアを、私は必ず実行するように動いた。アイデアはあっても監督ができないこともあるが、それを私はいくつか人脈を駆使して、一見、簡単そうに実現することができた。落合監督の参謀をやる喜びは、まさにそこにあったのだ。"

というくらいですから、森がいかに落合を信頼していたか、よくわかります。

マスコミがうるさくいう情報統制も、森にいわせれば、選手からの信頼を得るための手段になります。落合は無愛想だが、コーチ陣の顔色をうかがいながら、委縮する選手をつくらないよう最大限配慮しているし、直接、指導はしないが、ずっと選手を見守っています。これは並大抵の我慢ではありません。選手の成長を願わないと、ここまではできません。

マスコミの作りだす落合像と森繁和のそれは、完全に齟齬を来しています。両者に食い違いがあるとしたら、どちらが本当の落合なのでしょう? 落合が畏れられ、記者に威圧感をあたえるとしたら、それは落合の信念に原因があるようにおもいます。落合には確固たる信念があり、信念に身を委ねるつよさを持ち合わせています。通常の人間はそこまでつよくありませんが、落合はそれを徹底し、徹底するだけの覚悟をもっています。その不動の姿が、信念を持ちあわせない者にとって、不気味に映るのです。

「参謀」は、マスコミがつたえなかった落合の人となりを、実直に語った一冊です。それだけでこれはもう名著といえるでしょう。

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