小説以外のもの 書評

サルトル│梅木達郎

『サルトル 失われた直接性をもとめて』
梅木達郎
日本放送出版協会 

ジャンポール=サルトルとは、実存主義を代表するフランス哲学者です。そして、哲学者だけでなく、小説家と劇作家の顔を持っています。 

サルトルは二十世紀を代表する知識人で、時事問題についても都度発言をくりかえし、ときにはデモの先頭にたつなど社会問題に我が身を晒してきました。哲学者としては風変わりですが、彼の頭にはつねに時代とどのように関わるかという問題があったように思います。 

「哲学の殻」を打ち破り、時代に触れようとし、考えることで時代ともに生きようとする。それでいて哲学的問いかけで現代を乗り超える。サルトルの行動にはどこか無邪気さが漂っています。

哲学者といえば、世界の真理や自己への問いかけに没頭し、どこか浮世離れしたイメージがあり、難解な知識で語ったり、気難しかったり、偏屈だったり、とかく書斎にこもってそこから出てこない、そんな感じがします。

ですがサルトルは、アプリオや難題、哲学的な思考フィールドにとどまるのではなく、わたしたちにとってより身近な「今」に歩みよろうとしました。いまを生きる時代に寄り添い、時代の中に参入し、同時代のひとびとと直接触れ合うなかで考えを伝えています。それは、ある面において時代の要請に応える行動でもありました。

時代と哲学をむすびつけたスタイルは、「アンガージュマン」という言葉に要約されています。

アンガージュマン――。 
これは社会参加とも自己拘束とも訳されるのですが、いずれも正確な訳とはいえません。アンガージュマンはわたしたちが世界のなかに投げだされた状態にあり、その状況を引き受けて出発する覚悟を意味しています。
世界と直接のつながったなかで思考することの責任を引き受ける。それはサルトルの姿勢にほかなりません。同時に、アンガージュマンはサルトルの哲学的態度を根本的に変更する言葉でもありました。 

「事物について、直に触れるがままに語ること。それが哲学であること」

この一文からしても、固定概念に囚われないサルトルの自由な発想が見てとれるでしょう。そして自由な発想の根源にあるものは、時代を直接つかみたいというサルトル自身の欲求だったかもしれません。

哲学には世界と自己、そしてそれらをつなぐ”意識”に目が向けられています。いわば哲学は独自の強固なフレームを持っていて、フレームがあるが故に、フレームのなかで思考を走らせることができます。

サルトルは、ひょっとしたら哲学で語られるところの他者とか世界といったフレームを、時代に変換しようとしたのではないでしょうか。
哲学が取り扱うテーマに閉じこもるのではなく、時代に応じて哲学的な思考を持ち出し、そこに「乗り越える」可能性を見出す。哲学だけにとどまらず、時代の要請と多様な社会問題について思考し、社会とつながる意識について思考する。

そういった殻を易々と打ちやぶるサルトルの姿は、人々の目に希望として映ったのかもしれません。

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