小説以外のもの 書評

あ~ぁ、楽天イーグルス

『あ~ぁ、楽天イーグルス』
野村克也
角川oneテーマ21

野村解任劇

野村監督の解任が取りざたされたのは、CSシリーズを賭けて西武と争っている二〇〇九年九月のことでした。 「Aクラス入りできれば、続投できるだろう」野村監督はぼやきながらも、そう考えていました。なにせ今まで結果を出した監督がクビになることはいなかった。それが球界の常識だったのですから。
ところが、事態は急転直下。
「楽天イーグルスは好きだけど楽天球団は大嫌い
CS直前の十月半ばになると、野村監督は不信感をぶちまけたました。球団フロントが水面下で後任人事を進めているのが明らかになったからです。
その不貞腐れようは分別のある大人とはとても思えず、目に余るものがあったことは否めません。特に解任が決定となったとき、野村監督の言動は思慮を欠いたものが目立ち、その見苦しい様は、ほとんど老害のようでした。
しかし今にしておもえば、そういった野村監督の行動は、現場を離れることによる恐怖からきていたのではないかと思います。
無邪気な怒りはおもちゃをとりあげられた子供のそれと同じで、野球人として現場を離れる恐怖が勝った結果であり、愛情の表れですらあります。むしろ古希を超えた年齢であそこまで現場に対する強烈な想いを持ちつづけてることのほうが、よほど驚異的でしょう。

エースへの宿題

話は岩隈へと移ります。野村監督は、ことさら岩隈を非難してきました。シーズン序盤、楽天4-5ソフトバンクで落とした試合があり、岩隈は七回四安打無失点の快投も、肩、ひじの疲労から自ら降板を申し出て、マウンドを降りることとなりました。八回以降を中継ぎに託したものの、その後中継ぎが追いつかれ、延長十一回にチームはサヨナラ負けを喫したのです。まさかの敗戦です。
「マウンドを降りたがる投手だもん。闘争心、精神力。投手の第一条件が備わってない
野村監督は、当時、エースの自覚が足りないと露骨に非難しました。岩隈の降板が非難にあたるかどうかはさておき、野村監督の非難が、岩隈にエースとしての自覚を促すためであったのは言うまでもありません。
その後仙台で初めてクライマックスシリーズが行われたとき、初戦を託された岩隈は、重圧をものともせず楽天11‐4ソフトバンクと勝利へと導きます。その快投は、エースの貫禄を見せつけるに十分でした。

試合後のヒーローインタビューで岩隈はなかば興奮気味に、「てっぺん獲るのは本気ですから!!」と叫んだのは今でも憶えています。
また日本ハムとのCSで岩隈は、4―6と負けている八回2死二、三塁の場面で緊急登板。しかし無情にも、スレッジに右翼席にホームランを打たれ、日本シリーズ進出の夢は絶たれまてしまいます。名将野村監督の最後の試合が、こんな無様なかたちで終わりを迎えるとは、いったい誰が予想したでしょう。

人を育てる

「また来年、みんなが一つになって、日本一になれるようなチームにしたい」
試合後のインタビューで、岩隈は、あふれ出る涙を隠そうとしませんでした。
野村前も野村後も、岩隈は紛れもなく楽天のエースです。しかし岩隈自身がそれを口にすることはほとんどありませんでした。その男が、実際に悔しさを口にし、涙をみせる。こんな岩隈の姿は見たことがありません。
――岩隈、変わったなあ。テレビをみながら、そう思ったのを覚えています。そして、岩隈にエースの振る舞とその重要性を気づかせたのは、他でもない野村監督だったのです。

ダルビッシュ好投

余談ですが。このときの岩隈の姿をみて、ダルビッシュはほとんど絶望視されていた ‘09日本シリーズへの登板を決意したといいます。あのとき岩隈が投げていなければ、第二戦の日ハム勝利はなく、ましてや伝説ともいうべきあの『ダルビッシュの87球』は存在しなかったかもしれません。

四番の山崎

そして山崎。四番とエースは育てられない、というのが野村監督の名言です。そして当時の楽天イーグルスの四番が山崎武司、その人です。

ところで、中心選手って何でしょう?言葉でいうのは簡単ですが、説明するとなると存外難しいものです。チャンスで打つ選手なのか。状況に応じたバッティングができるのが中心選手なのか、それとも時に厳しい言葉でチームを叱咤することなのか。
野村監督がいう中心選手を知るうえで重要な試合があります。
‘07年のペナントレースのこと。楽天は九月に入り、大失速していました。一度沈むと立て直せないのが楽天の泣きどころ。なかなかチームを立て直せないなか楽天は、9月12日、対ソフトバンク戦を迎えることになります。この試合に負ければ最下位に落ちる。
──やっぱり駄目か。選手が自信を失えばチームは崩壊しかねない状況。追い込まれた楽天にとって、それはまさにがけっぷちの試合でした。七回までリードを許していた楽天。 しかし八回に追いつき、九回裏に一死二三塁、サヨナラのチャンスをむかえます。絶好の場面で回ってきた打者は四番・山崎。ところが――。このとき山崎は股関節を痛め、満足に走れる状態ではなかったのです。それでも山崎はチームの期待を一身に背負い打席に入ります。投手が投げる。山崎が始動する。バットが走る。最下位の運命がかかったこの一球で、いったいなにが起こったのか? 
この場面はけっこう感動的ですが、そればかりでなくこの場面を野村監督の視点から捉えると、『中心選手』の意味を理解することができます。野球は、走って打って守るスポーツです。ですが、それを超えたところにある選手の芯のようなものが、中心選手の中心選手たるゆえんなのでしょう。山崎武司はそれを体を張って示したわけです。

野球の名場面を振り返りながら、その思考を追いかけるには贅沢な一冊です。 

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