小説 書評

ポーツマスの贋作

『ポーツマスの贋作』
井上尚登
角川書店

あらすじ

日露講和会議は、八月一◯日、ポーツマスにて始まりました。日本側の全権は小村寿太郎と高平小五郎、それにくわえ随員(書記官)の佐藤愛麿・安達峯一郎・落合謙太郎が出席、対するロシアはセルゲイ・ウィッテ元蔵省とロマン・ローゼン駐米大使の両全権と随員(書記官)のブランソン・コロスロベツ・ナボコフという顔ぶれです。

小村寿太郎が示したのは以下の内容です。
①日本の韓国への保護権の承認
②ロシア軍の満州鉄平
③日本軍の満州占領地の清国への還付
④満州の門戸開放
⑤樺太の割譲
⑥遼東半島租借権の譲渡
⑦哈爾浜・旅順間の鉄道と支線の譲渡
⑧ロシア側の満州横貫鉄道の商業的利用への限定
⑨戦費の賠償
⑩中立国抑留ロシア軍艦の引き渡し
⑪極東ロシア海軍力の制限
⑫極東ロシア近海の漁業件の許与

①②③④⑥⑦⑧⑫の八ヶ条については、ほぼ日本側の主張通りに合意に達したものの、
⑤樺太の割譲
⑨戦費の賠償
⑩中立国抑留ロシア軍艦の引き渡し
⑪極東ロシア海軍力の制限

について、ロシアは受け入れを拒否します。

満州権益の確保という点からすれば、この段階で日本は戦争目的を達成していたといえます。にも関わらず、交渉決裂の寸前までいったのは、譲歩してもよいとおもわれる相対的条件がまとまらなかったためです。

では、なぜ絶対的条件でない問題で、決裂寸前までいくことになったのか?

それは日本世論が極端な強硬論を主張していたからに他なりません。日本国内では対露同志会など民間団体が、賠償金の獲得や領土割譲を講和のための最低条件とするよう主張し、多くの新聞がそれに同調していました。賠償金の獲得と領土割譲を考えたとき、小村寿太郎は引くに引けなかった。そしてその理由は、対ロシアではなく国内世論によるところが大きかったのです。

臥薪嘗胆の結末

ちなみに。
ポーツマス条約後、講和内容に怒りを露わにした民衆は、日比谷焼打ち事件に発展するなど半ば暴徒と化すのですが、その発端がどこにあったのかというと、国内世論を誘導した新聞各社が要因でした。日比谷焼打ち事件は自作自演ではないか。そんな印象さえ漂うほどです。
国内世論に配慮してまで国家存亡の大交渉にむかわなければならなかった小村寿太郎の苦悩を思うと、なんだか居たたまれません。

感想

さて、本作はポーツマスの交渉を背景に北斎の贋作をめぐり、パリで日本人画家が、国家謀略に巻きこまれるお話しです。

井上尚登の代表作である『T.R.Y』は、稀代の詐欺師が、中国で活躍する戦争スパイアクションですが、今回は戦争の部分を日露戦争後のポーツマス条約にあてはめ、同じようなアクションでストーリーを仕立て、「北斎の贋作」を間に挟むことで、設定とストーリーをつないでいきます。

特徴的なのはポーツマス条約のおける政治的な力学、つまり世界観が、キャラクターに影響を及ぼさないことです。本編ではポーツマスでの交渉とスパイアクションが交互に挿入されているものの、講話は講話で話が進み、スパイアクションはスパイアクションで話が進むなど、各々が独立して進行しています。並行するふたつの軸が近づくこともなければ、最後に結合することもない。種明かし的な盛大な見せ場もないまま物語はEndを迎えます。
読んでいていまいち盛りあがらないのは、世界観とキャラクターが相互に影響しないところにあるでしょう。

とはいえ。
この作品の目のつけどころは、まったくもってすばらしい。NHKでは2009年から三年にわたって『坂の上の雲』を放送し日露戦争を描きました。スペシャルドラマとなってますが、『坂の上の雲』が大河ドラマの範疇にあることは疑いようがありません。いままでの大河ドラマにはどこまでの歴史をとりあつかうのかという問題があって、それは幕末までというが暗黙の了解だったのですが、その歴史の下限が『坂の上の雲』で取り払われた感があります。そういう意味で『坂の上の雲』の果たした役割は非常に大きいのです。

大河ドラマの原作に徐々に明治・大正が取り上げられていくことを考えると、ポーツマス講話条約に先鞭をつけるあたり、井上尚登のセンスは優れています。まさに時代のツボを押さえている、といったところでしょうか。

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