「デブを捨てに」
平山夢明
文藝春秋
ならず者のゴーリーから金を借りていた主人公は、返済が滞り、ゴーリーの手下に捕まります。ゴーリーの手下が、特殊警棒をもってやってきます。手下がにやにや笑っているのをみて、主人公は目をそらします。
主人公は、ちょうど一年前も返済ができず、腕を折られていました。そして一年経ったいま、おなじように金をかえせず、腕を折られそうになっています。
ゴーリーは「骨折したところは治ると再石灰化されて以前より太くなるそうだ」といい、手下は手下で、下卑た笑いをうかべながら、「なかなかできない経験だから、同じところを折ってやる」といい放ちます。
■究極の選択
躰のなかにひびく骨折の音を思いだし、主人公は、また折られるのかと気落ちします。しかし、ここでゴーリーは意外な質問をします。彼は藪から棒に、腕とデブどっちがいい? と聞いてきます。
腕とデブ?
主人公は、質問の意味がわからず、当惑します。頭に浮かぶのは、骨を折られたくないという一心のみ。
なにを聞かれているのかわからないまま、それでもゴーリーはずっと主人公をみつめます。威圧的な眼光をむけ、主人公に無言の圧力をかけつづけます。猛烈な勢いで考えぬいたすえ、主人公は、ただ一言、「デブで」と答えるのでした。
■旅のはじまり
翌朝、家のまえに、アルファロメオのオープンカーが停めてあり、その助手席にデブが座っていました。
ミシュランの人形と見間違うほどのデブは、ゴーリーの隠し子で、とんでもないデブなため、町中の笑いものになっていました。そのことを苦々しく思ったゴーリーは、デブを処分屋に連れていくよう命じます。こうして、デブを捨てる旅がはじまります。
■デブとの珍道中
処分屋までの道中、主人公は、数々のトラブルに見舞われます。デブは血糖が下がると嘔吐する体質で、早々に、オープンカーにゲロをぶちまけるや、車はスピンしてガードレールに突っこみます。
なけなしの金を叩いてゲロ塗れの車を洗ったり、そうかと思うと身ぐるみを剥がされたり、金に困ったあげく脂まみれのラーメンの大食いにチャレンジしたりします。次々発生するトラブル。これはなにかの罰ゲームではないか、と思えるほどの悲惨さです。
トラブルが生じると、主人公はきまってデブを罵倒するのですが、そのたびにデブは落ちこみます。謝れ! といっても、俯いたままブツブツいうだけで、こっちを見ようともしません。主人公は苛々をつのらせます。
■不快のかたまり
平山夢明の作品は、グロテスクと暴力で、占められています。不快と恐怖をそこら中に敷きつめ、読む者を狂気の世界へひきずりこみます。好ききらいはあるにせよ、その作品は、異常で、最低で、最悪に彩られています。
こんなものを読んでいると、知れたら人格を疑われそうです。友だちからおもしろい本ある? と聞かれても、決して平山夢明とは答えないでしょう。
他人には勧められない。
でも、自分は読みたい。
その最たるものが平山夢明です。
■絶望の果て
ここに出てくるデブもそうですが、平山作品に登場するのは、生きていてもしょうがない底辺キャラが多いです。キャラはどうしようもなく、ストーリーは救いようがなく、読んでいると絶望しかありません。
でも、絶望を読みつくしたあと、微かに幸せを感じます。そのほんのちょっとの幸せに、希望をかんじます。
不幸と幸福が。
残虐と慈愛が。
絶望と希望が。
なぜか、おなじものに感じます。これはすこし不思議な感覚です。そういう意味で、これ以上素敵な読みものはないとおもいます。こんなに不幸にどっぷり浸れる人は、平山夢明をおいて他にいません。