小説 書評

幻の翼│逢坂剛

『幻の翼』
逢坂剛
集英社文庫

公安省設置をめぐる稜徳会病院事件から一年三か月余が過ぎた頃、倉木は、いっこうにすすまない捜査に業を煮やし、事件の全貌を週刊誌にリークしようと動きだしていました。

倉木は、夜なよな明星の自宅をおとずれ、ワープロで事件の顛末を打たせます。その内容はあまりに詳細すぎて、公表されれば森原法務大臣はおろか、警察に厳しい批判がむけられるのは明らかでした。

■倉木の罠

倉木は、書き上げた原稿を大杉警部補にあずけ、出版社に持ちこもうと企てます。大杉は古いツテとたどり、口論春秋に掲載を打診するものの、編集長の宮原は問題が大きすぎると断りを入れてきます。しかも、宮原は森原法務大臣のブレーンのひとりで、リークの情報は森原に筒抜けになります。

ここにいたって、内部告発は暗礁に乗り上げる───かにみえました。しかし、倉木のねらいはリークではなく、内部告発を知らしめることにあったのです。原稿は、敵をおびきだすための餌。倉木は、森原に罠をしかけていました。

■倉木、拉致される

それから間もなく、倉木が明星と食事をすませ帰り道を歩いていると、目のまえで白いワゴン車が停まり、男たちが出てきます。立ちふさがったのは、稜徳会病院の院長・梶村とその手下たちでした。梶村は、倉木がアルコール依存症であると通告し、自傷他害のおそれがあり、専門病院での治療が必要であるとして、倉木を強制的に拉致します。

■謎の暗殺者

いっぽう、稜徳会病院の副院長・小山は、院長の梶村からロボトミー手術を促され、気持ちが沈んでいました。小山はこれまでも罪のない患者にロボトミーを施し、稜徳会に仕えてきたのです。いってみれば、稜徳会病院の裏事情を知る生き証人。

そんななか小山は、搬送されてきた倉木を目撃し、ショックを受けます。しかしその夜半、病院になに者かが侵入し、小山は殺害されてしまいます。襲ったのは腕利きの暗殺者で、北のスパイと目されています。

事実、倉木がつかまる数日前、北絡みの事件がおきていました。能登半島沖で北の武装工作船が、海上保安庁の巡視船を機銃掃射し、巡視船が応戦したのです。巡視船は工作船から転落した男を救出し、情報を聞きだそうとしたのですが、男はシンガイ、シンガイとうわ言をくり返すだけで、そのまま死んでしまいます。

稜徳会病院に、シンガイという名前。

黒幕の森原法務大臣に、孤高の刑事倉木

これに監察官の津城や豊明興業、KCAIが絡みあい、物語は各々の思惑を含んだまますすんでいきます。

■眠りの王子

登場人物が多く、思惑が入りみだれる感はありますが、ヒロインの明星を中心にみると、「幻の翼」のストーリーがはっきりとします。これは、お姫さま=明星が、王子様=倉木を救出するお話です。

みすみす敵につかまり、玉砕を決めこむ倉木もどうかとおもいますが、倉木が動かない以上、物語をうごかすのは明星ということになります。とはいえ、倉木にしてみれば、敵を欺くにはまず味方からという作戦なのでしょうけど。

■明星の決意明星は、当初、自分の関心事以外にまったく興味を示さない倉木が、好きではありませんでした。ですが、倉木の仕事を手伝い、いっしょに食事に行くようになると、気持ちを抑えられなくなり、次第に想いをよせていきます。そんな矢先、倉木が稜徳会に拉致され、明星はハッピー気分から一転、どん底につき落とされます。

明星の行動は、良識ある刑事から、愛する人を守る女性のそれへと変わっていくのですが、その経過がかなり劇的です。官僚然とした明星が、倉木の拉致に際し、

”このままでは絶対にすまさない。きっとやつらに思い知らせてやる。この手できっと倉木を取りもどしてみせる。”

とのたまうあたりは、狂女をおわせます。そういった心境の変化は、読んでいておもしろいです。

明星は稜徳会病院に潜入しては、監視に一服盛り、倉木の救出にかけつけますが、その行動は、もはや分別のある刑事のものとはおもえません。また倉木のロボトミー手術を目の当りにして、狂乱するさまも、かつての冷静沈着な明星とはまるで別人です。

自分になびかず、倉木に不満をもつ明星も人間的ですが、愛する人を救おうとして一途な行動に走るすがたも、なかなか魅力的です。救出に失敗し打ちひしがれる場面や、やめてと叫びガラスに額を打ちつけるさまをみると、おもわず胸を打たれます。

倉木なり津城がひどく冷淡で策謀的なうえ、なにを考えているかわからないところがあるので、感情をあらわにつっぱしる明星の姿は好感がもてるとおもいます。

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