小説 書評

深夜百太郎│舞城王太郎

「深夜百太郎」
舞城王太郎
ナナロク社

ジャンルでいったら「怪談」でしょうか。やっぱり。

怖い感じやホラーめいた展開はないのですが、という部分に焦点をあてるなら、「深夜百太郎」は怪談になると思います。

ファンタジーとかダークとかいった話が収録されていて、いずれも現実と紙一重でありながら、現実とは異なるストーリーになっています。

■舞城のテンポ

日常的なところから話がはじまり、早いテンポで展開し、気がつくと、あっという間に異界に入っている。それが舞城王太郎らしいところです。ひとつ読んで、ふたつ読んで、みっつめにはもう怪異みたいな。展開早っ。マンガでいうところの、見事なコマ運びというやつです。

■現代のおとぎ話

脈絡なくあらわれる怪異というのは、舞城王太郎の独創性をよく表しています。突如、怪が表出し、むりやり話がつながるところなんか、特にその傾向があります。

舞城は、怪異的な作品をよく描いていて、日常からとんでもファンタジーに変節する展開がけっこうあって、山ん中の獅見朋成雄阿修羅ガール獣の樹がそれにあたります。いずれも主人公が、訳のわからない世界にいって自分なりの結論を得て、もとの世界にもどってきます。

この訳のわからない世界というのがポイントで、要は、日常→異界→日常と、話がすすみます。この展開は、おとぎ話とまったく同じ構造をしていて、おとぎ話の構造に悩みと自己解決の手順をのせると、ちょうど舞城ワールドができあがります。ただ、テイストはまったくちがうのですが。

■怪と無意識

舞城の怪は、怪でありながら、怖がらせるという方向に作用しません。どういうことかというと、<怪>をとおして、人間の意識の奥をのぞきこもうとしている、怪→恐怖ではなく、怪→意識にすすみ、だんだん人間の本質に迫っていきます。

自分というフィルターと通してみる───それは認識だったり、世界だったり、心理、無意識、脳と神経のあいだに生じる電気信号だったりするわけですが、そういったごちゃごちゃの思考が、ひとつの短編におさまっているのが魅力です。というか、そういったものをひとつに収める手段として小説をもちいている───ような気がします。完成された作品というより、人間の本質的な欲求をとりだすための実験に近いかもしれません。

短編をよんでいると、今まで隠してきた自分の本性やまったくちがう自分の姿に出会ったり、まったく及びもつかないような邪悪な考えに出会ったりと、覗いてはいけない感情によく出会います。ひょっとしたら、人間の無意識を、怪異に仮託しているのかもしれません。怪を描き、なにかあるぞ、そいつは危険だ、決して近づくなと警告しているかのようです。

そして、なにより舞城の怪異がおもしろいのは、突如あらわれた怪異が、自分のどこかとつながっている点です。日常から異界に至る過程と、意識からその奥をのぞこうとする過程が、妙にシンクロしています。

だとすれば、これは怪を通した心の声であり、怪をつかった自分語りであり、怪をつかった世界語りではないでしょうか? そんな、怪異が百話収録。

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