小説 書評

金メダル男│内村光良

『金メダル男』
内村光良
中央公論新社

慰安旅行先の温泉で両親が一発交わり、この世に生を受けた泉一は、信州・松本の地で、神童として名を馳せます。

小学生のとき徒競走で一等賞になり、父兄、先生、生徒たちから拍手喝采をあびると、泉一は得も言われぬ昂揚を得、覚醒します。そしてこの昂揚感───エクスタシィが、のちの彼の人生を決定づけます。一大カタルシスを経験した泉一は、金メダルの魔力にとり憑かれ、金メダルをとるために人生を捧げるのです。

■上昇と下降

かけっこ、絵描き、バスケット、剣道、表現部、劇団と、欲望のおもむくまま各分野に進出し、泉一はその才能を発揮します。驚異の習得能力をほこる泉一は、いずれのジャンルにおいても、めきめき頭角を現します。しかし習得するのも早ければ、彼は挫折するのもまた早かったのです。

あるときは団体競技における協調性のなさが仇となって挫折し、またあるときは恋愛という魔の手に成長を阻まれ、トップの座をうしないます。そして金メダルに手が届かないまま、彼の人生は失敗に塗れていきます。

■煩悩に惑う

これは前途有望な若者が、才能を無駄使いするストーリーです。「七転八倒」や「青春と挫折」といえば聞こえはいいのですが、泉一の基本はエロガキであり、誇大妄想の青二才です。

たとえば小学校のころ、水泳に打ち込んでいた泉一は、五◯メートルを息継ぎなしで泳ぎきる無呼吸泳法により、一位の座を手に入れます。しかしひとつ年上の女子に心奪われると、女子が泳いでいる姿見たさに息継ぎをおぼえ、女の子を視界に入れようと無駄に息継ぎをした結果、タイムがガタ落ち。そして選抜チームから外され、トップの地位をうしなってしまいます。これをエロガキといわずして、なんと云うでしょう。

また剣道を習ったときも、泉一は学習能力を武器にメキメキ上達し、最も地味で華のない小手をきわめて「小手男爵」の名をほしいままにします。

しかし、ここでも泉一は、エロガキの本領を発揮。県南の大規模な剣道大会で美少女剣士と対戦すると、泉一はつばぜり合いの瞬間に彼女のどアップをみてメロメロになり、引き面をくらいあえなく敗れてしまいます。

■小説コント

泉一が金メダルをめざし駆けあがる姿は、一気呵成で勢いがあります。そのあたりは読んでいて心地いいものがあります。

にも関わらず、いざ成功をおさめようかという段に差しかかると、決まって失敗をくり返します。奈落の底に転がりおちていく泉一は、無様で悲しくもあるのですが、やはり見ていておもしろいです。さすがコント師・内村光良の書き上げた小説、見事なまでに痛快です。

主人公はすごい才能を秘めたスーパーマンなのに、頭にあるのは女の子のことばかり。このキャラクターが、実によくできています。また泉一の躓き加減というか失敗加減が下種で「志高いのに、結局そこ?」とツッコミが湧いてきます。エロなり下種なり、俗っぽさが、じつにいい塩梅だとおもいます。

■金メダル社会

タイトルに「金メダル」があることから、この作品が東京五輪を意識しているのは明らかです。昨今「一億総活躍社会」が叫ばれるのをみると、いかなるときも金メダルをめざす泉一の姿は、世相とみごとに重なります。そういう意味で内村輝良は、時流を的確にとらえているし、視聴者のニーズをよくわかっています。

反面、この金メダル男をとらえ直すと、いまの社会を皮肉っているように思えます。個性を発揮し、金メダルを目指すのが昨今の潮流だとすれば、いまの社会は一番をめざすことが是とされます。

しかし個性の道へと突きすすんだ結果、だれもが挫折に塗れるのはいかがなものでしょう。金メダルをめざす社会は、結局、煽るだけあおって個人を放置し、金メダルが獲れずともそれを是とする無責任さにあふれています。

■失われるもの

個性なるものが社会に持ち込まれてずいぶん月日が経ったようにおもいます。が、個性がのさばったのと反比例して、継続の重要性が廃れていったのも事実です。廃れているというのが云いすぎなら、継続性が軽んじられるようになりました。伝統や時間をかけて習得する技量、文化は、以前より軽んじられています。

三島由紀夫の言葉を借りるなら、

"われわれは自分が遠い遠い祖先から受け継いできた文化の集積の最後の成果であり、これこそ自分であるという気持で以て、全身に自分の歴史と伝統が籠っているという気持を持たなければ、今日の仕事に完全な成熟というものを信じられないのではなかろうか。或いは自分一個の現実性も信じられないのではないか。自分は過程ではないのだ。道具ではないのだ。自分の背中に日本を背負い、日本の歴史と伝統と文化の全てを背負っているのだという気持ちに一人一人がなることが、それが即ち今日の行動の本になる。"

(「日本の歴史と文化と伝統に立って」)

というのがまるで感じられなくなっています。情報は早くなりましたが、そのぶん深さは失われ、広く拡散するわりに情報は浅く、浅いがゆえに使い物になりません。

■一億総崩れ?

話をもとに戻しましょう。「金メダル男」をよみながら、皆がみな、泉一のような生き方でいいのかだろうかと、そのことがあたまを過ぎりました。泉一は金メダルをめざし、その夢途中でやぶれ、果実が実らないまま、家族に負担をかけています。それがいいことなのかといわれると、無条件には肯定できません。

でも夢を追いかける本人は、明るく笑って生活しています。生きがいをもっています。夢と幸福にみちているのです。このアンバランスは、いかんともしがたいものがあります。一億総金メダル社会は、ひょっとしたら一億総崩れへの道なのか? そう決めつけるのは、あまりにネガティブすぎるでしょうか。

-小説, 書評