小説以外のもの 書評

不死身の特攻兵

不死身の特攻兵
鴻上尚史
講談社現代新書

特攻の象徴、神風──。大東亜戦争時、石油不足におちいった大日本帝国軍は零戦もろとも敵戦艦に突撃し、損害をあたえるという作戦にでます。過酷も過酷。非人道的といえば、これ以上非人道的な作戦はありません。

人の命を兵器化する。そんな異常な作戦がなぜ決行されたのか、そこに至るまでの過程が謎でした。謎というか──。現代を生きる我々からすれば、特攻精神には気持ちが追いつかせるというのは至難です。それゆえ、特攻と聞くとどこか他人事のような、諦めにも似た気持ちになります。それは自分と関わりのない世界だと思いたいのだとおもいます。
ある種の保身めいた心理が働いて、
──あれは戦争の話だから。国家の命令だったから仕方なかった。
と自分にいい聞かせるような気持ちになります。

特攻の固定観念


百歩ゆずって特攻せよと命令する側の気持ちはわかるにせよ、皇陛下万歳とか御国のためにといって突撃していく兵士の心情は想像できないし、というのも、そこには多分に想像したくないという拒否反応があります。
嫌だといえばいいのに。
なぜ拒否しないのか──と。
そのことが、現代/いまを生きる我々からすると、もどかしくてなりません。

世のなかが全体主義で、戦争という異常な状態において、国家が半ば洗脳的な強制力をもっていたといえばそれまでですが、
──特攻兵士が本気で玉砕にのぞんでいたのだろうか。
とその疑念が膨らみます。

本当はそう思ってなかったのではないか。特攻とはいえ、どこか生き残る道を模索したのではないか。それは思いたかったのは、自分だったら唯々諾々と自分の生命をさしださないだろうというのがひとつ、もうひとつはたとえどんな逆境であれ、生き残るための方策を模索し足掻きとおす場面/ところにこそ、人間の人間らしさあるのではないかと。希望をすてない姿を期待していました。

現実はちがった


そういった諸々の疑問がふまえて「不死身の特攻兵」をを読みはじめたのですが、当時でも、常識的な判断をくだす人はいたことを知り、
──やはりな。
ある意味で得心する思いでした。
当時、特攻を強いられた状況下でも、頑として命令に従わない無骨なパイロットがいて、またパイロットに協力する人たちがいたのです。彼らはかれらなりのやり方で、特攻を否定しようとしました。上がやれといっても間違っているものはまちがっている。たとえそれが国家や天皇であっても関係ない。我々の本分は敵の戦力を奪うことだ。それを行動で示す人たちがいたのです。

正常な判断ができ、それでいて気骨のある人物がいたことを知り、胸が熱くなりました。正当な言い分があり、不条理にも負けず組織にたちむかう人たちというのは、やはりかっこいいものです。それが、死中に活を見出すとなればなおさらですね。

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