
『騎士団長殺し』
村上春樹
新潮社
肖像画専門の画家はある日、「とても悪いと思うけど、あなたと一緒に暮らすことはこれ以上できそうにない」と妻から切りだされ、不倫をうちあけられます。
主人公は失意のあまり放心状態となり、愛車に乗って旅にでます。夜どおし運転して新潟にでると山形、秋田、青森と北上し、そのまま北海道にわたり、傷心の主人公はテントを張って夜を過ごしてはあてのないまま旅をつづけます。
世界との関係をうしなった主人公は、自分は頭がおかしくなったとおもうようになっていました。と同時に、自分はだれとも関わらないほうがいいのだとかんがえるようになります。

旅をおえて主人公が東京にもどってくると、雨田氏から、制作工房のあるうちの実家にすまないか? と話をもちかけられます。
雨田氏の父親は高名な日本画家だったのですが九十歳をすぎて痴呆がすすみ、現在は、伊豆の養護施設にはいっています。そのため、彼の実家は空き家になっているのでした。誰も住まないと荒れるからという理由で、雨田氏は転居をもちかけていたのでした。そしてそのことばにしたがうように、主人公は制作工房に住みはじめます。
小田原の山のなかにある制作工房にすみながら、主人公は駅前の絵画教室で講師をし、そこで知りあった人妻と関係をもち、たびたび逢瀬をかわします。人妻と性行為してはアトリエで自分の絵を描き、ときおり妻のことを思いだして気持ちの整理をしていきます。
そんな生活のなか、主人公は日常を回復するかにおもえました。

が、ある日──。
かつて肖像画をあつかっていた会社から、依頼が舞いこみます。しかもその報酬は破格でした。依頼してきたのは免色という人物で、彼はアトリエの谷をはさんで真向かいにすんでいたのです。金にこまらない資産家で、白髪白髭の精悍な顔つきをしていて、年のころは五十代。当初、高額な依頼をしてきた免色に対して警戒を抱た主人公でしたが、制作工房にモデルとしてきてもらううちに、彼の人柄や知性に興味をおぼえます。

そうして免色さんと交流するうちに、主人公は物音を聞きつけ、屋根裏をしらべます。そしてそこで包装用紙にぴったりくるまれた額を発見します。包装紙にくるまれた額には、青いボールペンでこう書かれていたのでした。
”騎士団長殺し”
この謎の絵画──騎士団長殺しがきっかけとなり、主人公のまわりでは奇妙なことがおこりはじめるのです。
未完がおもしろい
「1Q84」をよんだときに、村上春樹の小説の完成度──ストーリーを完結させる手順が格段にあがっていて、おどろきました。「騎士団長殺し」も「1Q84」と同様にストーリーの完成度がたかく、ある意味で村上春樹らしからぬ展開となっています。

主人公は妻の不倫がきっかけで世界との関係をうしない、逃避旅行にでるのですが、その道中で早々と女性をみつけてセックスをはじめます。村上作品における性描写はお約束といえはお約束ですが、とはいえ、はやい段階で読者がのぞむものを提供していて、その点は見すごせません。お約束を先出しするというのは、ある種の読み手への配慮ではないかとおもいます。
おもえば、主人公が寝取られで傷心となり絶望におちいるあたりもいつもより早めの展開ですし、物語の速度テンポもどこか軽やかです。そういう意味では、『騎士団長殺し』は、サービスが行きとどいています。しかしこんなにスムーズな展開をよんでいると、つい村上春樹らしくないなとおもってしまいます。どこまでいってもだらだらとどこにも行き着かない。それが村上作品の常套です。

かつての村上春樹なら、描写や文章へのこだわりはふんだんに盛りこまれているのに、ストーリー構築の意欲は希薄でした。情景と場面が延々とつづくのに、けっしてどこにも行きつかない。そういった物語が多かったものです。
主人公はどこにいくこともできず、自分の殻にとじこもったままで、無為なる日々をすごします。どこにも行かず、なにも成し遂げず、なにも変わらないまま、物語が展開を見せそうなあたりで強制終了。
起承承承……とどこまでいってもの承の連続で、のこりページがすくなくなっていく。なのに、いっこうに物語が収束しない。どうするんだこの物語。だいじょうぶか?本当にこれおわるのか──。
などと読んでいるときにおとずれる焦燥が、村上作品のかっこうの薬味スパイスとなっていたのです。
しかし、いまの村上春樹は危うい感じがまったくしません。ふつうに読めます。ちゃんと物語が完結するのです。なので、物語がつつがなく安全にすすんでいくいまの作品をよむと、どこかつまらない感じがするのです。あの焦燥感ハラハラがあじわえないのはとても残念です。
新耽美主義?

いまひとつあげるなら、この作品の特徴は性的嗜好ではないかということです。きわめて紳士だった免色さんがじつは盗撮変態野郎だと判明したとき、そのいいわけをどう描写するのか。免色さんが延々と自分の正当性をかたるあたりは、性的興奮ではないものの惹きつけてやまないものといった心理で静的嗜好性フェティッシュを感じさせます。
理性と欲望。
禁忌とフェチズム。
そういった微妙な心理状態せめぎあいを訥々とかたるあたりは興味ぶかいものがありました。
免色さんは谷をはさんでむかいの家にすんでいて、そこからアトリエを監視しているのですが、その状況下で絵画教室にかよう実のむすめをそこにつれてきてほしいと頼んできます。

血のつながりはあるので実の娘に会いたいというのがそもそもの動機でしょうが、免色さんの根底にあるのは年頃の少女を望遠鏡でみたいという、ゆがんだ欲望のような気がしてなりません。行きすぎた覗き趣味を、厭うことなく、じっくりと春樹節で書きあげるのは見ものです。これってある意味ものすごい妄執だとおもうんですよ。