小説 書評

蜜蜂と遠雷│恩田陸

「蜜蜂と遠雷」
恩田陸
幻冬舎

パリでおこなわれた芳ヶ江国際ピアノコンクールの三次予選、審査員の嵯峨三枝子は、その席で退屈していました。コンテスタントたちは可もなく不可もないレベルで技量が拮抗し、突出した才能は見当たりません。
三枝子はオリジナリティのある演奏と、音楽に対する許容範囲の広さには自信はあったものの、似たりよったりの演奏をまえに、あとは何かが「引っ掛かる」というところで比べるしかないと、ひとりごちます。

しかし、そこに風間仁なる少年があらわれ、状況は一変します。あろうことか、風間少年は、ユウジ・フォン=ホフマンの推薦状を持っていたのです。ユウジ・フォン=ホフマンは今年二月に亡くなり、世界中の音楽家や音楽愛好者たちに尊敬されていた演奏家です。しかしそのホフマンに教え子がいたという話は、訊いたことがありません。

この少年何者なの──?

■ギフト

演奏がはじまるや、三枝子は、彼の奏でる音がまったく違うことに驚愕します。会場の空気は劇的に覚醒し、誰もがその演奏に圧倒され、ホールは少年の世界に支配されていきます。圧倒的な演奏をまえに三枝子は、なんておぞましいと、嫌悪感をあらわにします。彼女は、途方もない才能を目にしたことで、恐怖を感じていました。あまりに”ヴィヴィッドな音”に、嫌悪の情が先にたったのです。

”「許せない。あんなの、ホフマン先生に対する、ひどい冒涜だわ。あたしは絶対あの子の合格には反対する」”

美枝子は怒りをあらわにします。そして、審査員の評価は真っ二つに割れてしまいます。しかし、彼は、まぎれもなく音楽の神さまに愛された天才でした。事実、ホフマンは彼をこう評していたのです。

”皆さんに、カザマ・ジンをお贈りする。
文字通り、彼は「ギフト」である。
恐らくは、天から我々への。
だが、勘違いしてはいけない。
試されているのは彼ではなく、私であり、皆さんなのだ。”

■豪華絢爛

女ランランの異名をとるジュリアード音楽院の秀才、ジェニファー・チャン。
観客の人気絶大にして芳ヶ江国際ピアノコンクールの大本命、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール。
天才少女としてプロ活動後、突然引退、そしてこのコンクールで復活を果たす栄伝亜夜。
家族を持ちながら音楽家をめざす最年長コンテスタント、高島明石。
そしてホフマンから音楽を託された蜜蜂王子、風間仁。

「蜜蜂と遠雷」では風間少年以外の、個性のことなる演奏家にスポットライトがあたります。並みいる天才のなか、風間仁はひときわ注目を浴び、コンクールの台風の目となっていくのですが、風間少年の演奏に触発されたように、他の天才たちが次々と覚醒していきます。そのさまは、この物語の見どころのひとつとなっています。

これは演奏家たちの群像劇です。コンテスタントの数だけ物語が存在します。

コンテスタントは緊張や恐怖にさらされ、それでも精一杯指先まで神経を張りつめ演奏します。真摯に演奏とむきあう彼らの姿は、読んでいて胸がつまります。こんなに努力し、緊張を強いられるのにコンクールで優勝できるのはたったひとり。物語中に「本当に本当に、なんて不条理で残酷なイベントなんだろう」という一文がありますが、まさにその通りです。特に演奏前の苦悩は、読んでいるだけで、苦しくなってきます。

■市民ピアニスト

色んなコンテスタントが出てくるなかで、もっとも印象に残っているのは高島明石です。おばあちゃんの蔵にグランドピアノがあり、明石は、夏休みごとにおばあちゃんの家にいっては演奏していました。おばあちゃんは幼い明石の演奏を聞きながら、明石のだす音は優しいねえといいます。その言葉が、いまの明石の演奏につながっています。

コンクールを前にした明石の苦労は、並大抵ではありません。社会人の彼はただでさえ練習時間が少なく、睡眠時間を削って時間をつくっていました。曲を選ぶのも一苦労。市販のアルバムから集めた演奏でプログラム曲の候補をえらび、恩師にも相談しながらプログラムを決めていきます。

プログラムが決まると、今度はメロディの作成に取りかかります。明石は課題曲「春と修羅」のメロディ作成に夢中になり、右手で宮沢賢治の妹・トシのメロディを、左手で世界や宇宙に思いを馳せる賢治のイメージをのせるなど、試行錯誤を繰りかえします。しかし、いろいろメロディを入れたら入りきらなくなり、妻に聴かせたところ「ごちゃごちゃしていて重たい」といわれ、落胆します。そこで作りこんだメロディを解体し、イチからつくりなおすことで、明石はようやく「あめゆじゅとてちてけんじゃ」のメロディを完成させます。

二次予選で披露した明石の「春と修羅」は臨場感たっぷりで、本当にメロディが聞こえてきそうです。それくらいリアリティがあります。小説は文字を読むだけなので、実際に音声は聞こえません。なのに蜜蜂と遠雷では、メロディの微妙なニュアンスやライブでの昂揚、迫力がびしびし伝わってきます。

文字だけでここまでピアノの演奏を聴かせるのは、純粋にすごいの一言。小説のなかで音が鳴る「蜜蜂と遠雷」は、まちがいなく名作です。

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