本棚のこと

本棚と本の並べ方

作家別の本棚

作家別に本棚をつくるのが最もポピュラーな方法だ。図書館にいくと、文学コーナーの全集でよく見かけるのがこの並びである。

とどのつまり本から得る知識というのはハウツーの情報ではなく、その人の思考方法だと思う。気に入った本があればその作家のものを片っ端から読んでみるといい。するとおのずと好きな作家の本がたまるはずだ。

本を読んでいるとき、好きな思考をさがしている──という感覚がある。それはあたかも思考をインストールするような行為になる。そして思考をためようと思ったら作家ごとに本をあつめるのが手っ取り早く、だから作家別に本をならべるというのは本棚においてはごく自然な方法といえる。

ただ作家別に分類してしまうと、収納したときにコンプリートされた感が出てしまう。それだと寂しさがただよう。なんというか電車にのっていて終点に来てしまい、そこから先に行けないみたいな行きづまりを覚える。収集それ自体が目的になるのは、文脈本棚の趣旨に反する。

結果、作家別の本棚はコレクション目的となり、学習する機会が減る。本の並びに文脈がないから偶然性が乏しい。だから、アイデアの掛けあわせが出てこない。

ジャンル別の本棚

本から得る知識は思考方法だと述べた。そして思考方法の掛けあわせが大事だとも。

もしそうだとするならジャンル別に本をあつめるというのは、ある意味合理的な方法といえる。ジャンルごとに本を並べるのは、整理の仕方としてわかりやすい。また本を探すときに便利で、この手の本はこのへんにありそうだと詳細な場所がわからなかったとしてもあたりがつく。図書館の本棚がジャンル別にならんでいるのも、この探しやすさに重きを置いているからだ。

またジャンル別は本を並べると作家ごとの縛りから解放されるので、ジャンル内での偶発性が生まれる。本と本をかけあわせることで、新しいアイデアが生まれることになる。

では本棚におけるジャンル別分類は万能だろうか。じつはそうでもない。ジャンル別の並べ方は、ジャンル分けできない本が出てきたときに対応できなくなる。それがデメリットだ。

ジャンル不明だけど物事の本質を鋭くついている本だったり、いっけんなんの話なのかよくわからないけど読みすすめてみたらなるほどとおもう本が、世のなかにはけっこうある。こういった本はジャンル不明だからおもしろいのだし、下手にジャンル分けすると味わいが薄れる。わざわざジャンル分けしなくてもいいのにと思ってしまう。

そもそも本のジャンルと本に書かれているアイデアが一致してればいいけど、このアイデアは他のジャンルでも使えるというのはよくある。そういったアイデアを抜きとりたいときは、ジャンル別に本をならべても使えない。逆にジャンルというものがひとつの制約条件になってしまう。

アイデアというものはジャンル横断してかんがえるから新たな発想といわれるのであって、ジャンル別は偶発性がジャンル内で限られる点で限界がある。つまりジャンル別本棚では、予想外のアイデアが生まれにくい。検索制は高いのだが、アイデアを発揮するのに十分ではない。

そもそも文脈棚のおもしろさは、この本のテキストとこの本のテキストであい通じる部分があるのでは? というあらなた発見をするところから始まる。見たこともない異物同士を掛けあわせるから発見なのだ。その人しか見つけられないであろう視点を発見するのがたのしいのであり、ジャンル別本棚と文脈別のそれはそもそもの思想からして相容れない。使い勝手を求めるならジャンル別に本を並べるのがよく、それを無視して個人用にカスタマイズするなら、やはり文脈性が適している。

壁一面の本棚

DIYで壁一面本棚を作ろうという動画を見かける。DIYもさることながら、壁一面本棚にはそれなりに需要があるのだとおもう。壁一面本棚をなぜ好むのか? と問われれば、隙間なく本が埋まっているのがいいのだ。みっしり詰まった本棚はちょっとした幸せを感じる。

ちなみに壁一面の本棚を買ったことがある。そのときの体験談でいえば、天井でつっぱりで支えるのと、上部と下部でジョイントがありかなりの重さだった。あと組み立てるのに手間がかかり、持ち上げるのも苦労した記憶がある。

また実際壁一面本棚を設置してみると、高い場所は手がとどかなくて不便だった。壁一面の本棚があってもその全面を自在に使えるわけではない。使いにくいところはつかわないのだ。さらにおもったより収納量がすくないのもデメリットだ。奥行きが狭いので、本を前後二段でおけない。けっこう値段が高いのにさほど収納できず、使い勝手もわるい。壁一面本棚が売れない理由はどうもこのあたりにあるような気がする。

意外と使い勝手がわるい壁一面本棚だが、メリットはどこにあるのだろう。唯一これは壁一面本棚にしかできない特徴だとおもうのは、本を広げられることだ。本を広げて置けるので、詰めこんだり収納することを意識しないで済む。ただ広げるように本を置いていけばいい。そうすると面が広いので、勝手に文脈を意識した整理になる。これは思考の整理に役立つとおもう。本を広げてならべることで、新たな発見が促される。

たとえば書かれている視座にもとづいて過去>現在>未来の順にならべてみたりもするのだが、そうすることで問題意識がどこで立ちどまり、これからどこに向かおうとするのか見通すことができる。未来志向なのか、課題解決なのか。そういったぼんやりした大枠が本棚のなかで見通せるのは、けっこうおもしろいと思う。

いってみればこれは付箋を使ってブレストするように、本をつかってアイデアをマッピングしているのだとおもう。その意味で壁一面本棚は視認性が高い。

文脈という並べ方

問題がどこからやってきたのかという点を見通すのであれば、歴史、過去の失敗を系譜的にならべるとある程度整理がつく。また歴史と社会がヨコでつながったり、社会と哲学がタテでつながったりと文脈を配置できる。いろんな本がいろんなアイデアによってつながるのはやはりおもしろい。

たとえば、マルクスと「僕たちの社会主義」とまちカフェといった本を並べたとする。これらの本を並べたとき、なにが見えてくるか。

マルクスの本では、過去の社会主義の隆興とその後の失敗について学ぶことができる。理念の平等を掲げても現実ではうまくいかないことが多く、むしろ画一的な平等がもたらす多様性のない集団ができあがってしまう。社会主義が犯した過ちを忘れるべきではないだろう。

僕たちの社会主義では、タイトルとは裏腹にコミュニティ活性化を謳っている。地域デザインの考え方は思想的なものではなく、どちらかといえば実践からうまれてきた考え方でである。またマルクスが国家的な規模で語られていたのにたいし、こちらはが注目するのはローカル的な視座である。

まちカフェでは地域の結節点となる場所とコミュニティ維持について考える。実生活としてのアジール的な場所が確保されているかどうかは、コミュニティにとって大きな役割を果たす。平等の意味はみな同じではなく、多様な考えを受け入れる土壌をもつことが肝要となる。また前二者が思想というソフトに重きをおいているのだとすれば、まちカフェではハードの問題が生じている。

一見するとなんの文脈もないように見えるものが思想でつながっていたり、実践やハード、規模のちがいによって整理されたりする。文脈本棚の目的は知識の集積ではなくて、思考の集積にある。それは頼りない細い糸をたぐりよせるのに似ている。なにかつながっていないものでも、根底にある思考をさがしていくとつながっていることがある。そういった文脈をさがすのに文脈棚は向いているとおもう。

壁一面本棚は視認性がたかく、ユニットごとに本を見渡せるので視認性が高い。またユニットの関連性も把握できるので、本のつながりをユニットをジグソーパズルのように組みあげる働きがある。いうなれば壁一面本棚は、偶発性が発揮しやすいのだ。

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