小説 書評

神の時空 ―五色不動の猛火― │高田崇史

『神の時空 ―五色不動の猛火―』
高田崇史
講談社ノベルス

明暦の大火をめぐって話が始まります。おや? と思ったのは、今回取り上げられていたのが明暦の大火で、時代が江戸ということです。

神の時空シリーズは、素戔嗚尊や天照大神が登場することが多く、古事記日本書記がかたられる古代史がテーマになることがほとんどです。しかし、今回は、時代がぐっとさがっています。江戸といえば、たかが四〇〇年前。さすがに今回は怨霊も少ないだろうとおもったのですが、その見立てはあっさり覆されてしまいます。

■五色不動

■五色不動

東京都内で、連続放火殺人事件が起こります。事件はいずれも寺社近辺で発生し、図ったかのごとく火事が発生しています。事件は、目黒、世田谷区太子堂、三軒茶屋、駒込、江戸川区平井、三ノ輪でおこり、一見バラバラにみえるのですが、じつは一定の法則のもとにおこなわれています。事件は不動明王をまつった寺の近くで発生し、一連の犯行は五色不動を狙ったものでした。

不動を狙ったのは高村皇の一派。高村は、部下に命じて日本国中の神社仏閣を破壊し、そこに閉じこめられた怨霊を解き放とうと画策しています。

辻曲家の人々は高村一派の動向に気づき、怨霊解放の阻止に乗り出すものの、肝心の不動が何者なのかわからず往生します。江戸に結界を張る五色不動は何者なのか? 五色不動の謎を知るため、陽一は、歴史にくわしい地縛霊・火地のもとへむかいます。

■宿場町と刑場

いつもながら、事件そっちのけで、火地の語りがおもしろいです。不動にどんな秘密が隠され、そこにどんな意味があるのか。秘められた歴史が明らかになる過程はスペクタルです。

偏屈作家の火地は、五色不動が、宿場町そして刑場と密接に関係していると指摘します。たとえば刑場でのさらし首は、罪を犯した人への罰としておこなわれるのですが、単に刑罰としておこなわれているのではありません。晒す行為には、それ以上の意味があります。

それはなにか?

犯罪抑止です。

刑場が宿場町の近くにあるのは偶然ではなく、あらかじめ意図されていて、これから江戸にはいろうとする人間の目に、わざと触れさせています。そのため、刑場はわざわざ宿場町の近くに設置しています。その根底にあるのは、犯罪を防止し、江戸の秩序を護るという治安維持であり、幕府の命を聞かないと、おまえもこうなるぞという脅しです。なかでもさらし首は、反乱分子───賊への見せしめなのでした。

そしてここからが怨霊の出番になり、おぞましい話になるのですが、刑場で打ち首になった人のうち、実に四割近くが冤罪だったといわれます。

ご丁寧なことに、江戸時代では、冤罪もふくめた刑場で亡くなった人たちを焼くため近くに火葬寺があり、彼らの霊を鎮めるのに地蔵を置いています。そして鎮魂のための地蔵が、巡りめぐって、不動につながっているのです。

■鎮魂テーマパーク

また鎮魂を理由に、刑場には、いくつかの人々が集まる仕組みが設けられています。例えば、花見がそれにあたります。吉宗が川の堤などに桜や梅を植えたのは、そこに大勢の人々を集めて土を踏み固めさせるためです。踏み固める行為には、封じこめた霊が外に出てこないようにするとの意味がこめられています。

また、相撲もしかりです。勧進相撲も本来は神社仏閣の修復費を募るためにおこなわれ、それが、やがて一般庶民向けの興業として広まったものです。神事としての相撲をみた場合、四股を踏むという動作も怨霊を鎮めようとする行為であり、塩を巻くのも不浄を清める行為です。そして、綱を張るのもやはり霊を封じ込める作法です。

ここまで見てきたように、刑場のちかくには、鎮魂のためのなにかが組みこまれているのは明らかです。そして不動がそのなかのひとつであることは、疑いようがありません。

■冤罪社会?

恐ろしいのは、晒し首と鎮魂が、冤罪ありきのシステムとして自己完結しているところです。当時の人々ないし社会は、冤罪であることを知りつつ、幕府に楯突くことをよしとせず、罪なき人たちを怨霊として鎮めようとしていました。

不動で祀る習慣は、冤罪も秩序をたもつためにはある程度必要だったと、当時の人たちが考えていた証拠です。冤罪で処罰された者は、幕府にとって”必要な犠牲”とみられていました。そこには、罪なき者であってもお上のために死んでくれるならそれでよく、あとで丁重に祀るから恨まないでほしい、そんな身勝手な論理がかくされているように思います。

見方を変えれば、この欺瞞的な鎮魂形式は、幕府が強いたものではなく、市井の人々が受入れ、自分達で考案したものではないでしょうか。そんな馬鹿なとおもうかもしれませんが、こういった方法は、現代でもよく見かけます。

たとえば、靖國神社がそれにあたります。靖国では二四六万柱余の戦没者の霊、英霊がまつられているわけですが、英霊という言葉自体が、お上ありきの発想です。当時の人たちだって、戦争をして英米に勝てるとは思わなかったでしょう。だけど、お上の意向には逆らうわけにはいきません。表だって戦争反対とはいえないのが当時の状況です。なので、戦地に送りこむ兵士には、日本国のために死んでほしい、あとで丁重に祀るから、自分たちを恨まないでほしい───と、そんな願いがあったようにおもえます。

時の権力者に逆らうことなく、鎮魂によって亡くなった人の無念を晴らすというのは、きわめて伝統的な日本の解決方法です。

■きゃりーぱみゅぱみゅ

さて刑場―寺院の関係からみて、寺院に人々が集まるような仕組みが設けられていることは先に述べました。人を集めるという行為が、地面を踏み固めることになり、地面を固めることが鎮魂につながります。

寺院のイベントでいうと、二◯一三年一月に、増上寺で、きゃりーぱみゅぱみゅのLIVEがおこなわれたのは記憶に新しいところです。増上寺とその後ろにそびえる東京タワーを背景に、プロジェクションマッピングで光の世界を演出したauのCMは、当時話題を呼びました。

スポンサーから見ればこのイベントは、集客であり広告であり、話題づくりから消費をうながす行動といえます。しかし、江戸時代からつづく寺院───しかも品川宿にちかい増上寺でおこなわれたことを加味すると、その目的が鎮魂にあるのは、強ちまちがいではないでしょう。なにしろ人を集める行為は、鎮魂につながるのですから。

そう考えると、鎮魂のために、きゃりーぱみゅぱみゅを用いた増上寺の策は、なかなか理にかなっています。

とはいえ、その場でファッションモンスターを歌うのはいかがなものでしょう? 仮にもモンスターなのですから、怨霊が暴れる可能性がなきにしもあらず。いや、ひょっとしたら、きゃりーぱみゅぱみゅは、江戸時代の怨霊を解放しようとして「ファッションモンスター」を歌ったのかもしれません。もし、そうだとしたら───。

と、いらぬことばかり考えている、今日この頃です。

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