小説 書評

さよなら神様│麻耶雄崇

『さよなら神様』
麻耶雄崇
文藝春秋

■ネタバレという禁忌

主人公は小学五年生の倉知淳。淳のまわりでは奇怪な事件がおきていて、担任の先生が殺人事件で容疑者扱いされたり、五十五才の女性が首を締められて殺されたり、幼なじみのクラスメイトが殺されたりします。事件はいずれも主人公の身近な人が関わっていて、事件の解決によって淳は少なからず影響を受けます。

淳のクラスには「神様」を名乗る予言者的な転校生がいて、神様が犯人の名を明かすところから物語がはじまります。ミステリィということを踏まえれば、冒頭で犯人をあかす構成は、ちょっと変わっています。いえ語弊がありますね。だいぶ変わっています。それあり? っておもうくらいの変わり種です。

いわずもがなネタバレはミステリィの禁忌だけに、あえてタブーを犯した状態から物語をはじめるところに、麻耶雄崇の意欲を感じます。

■ネタバレを逆手にとる

主人公は久遠小探偵団の市部の助けをかりて事件の真相にせまっていくのですが、やはり推理をかさねる過程は興味をひきます。少年探偵団といいながら、その推理は緻密で論理性がたかく読みごたえ十分です。

冒頭から犯人が明かされる身もふたもない展開を聞けば、変格ミステリィを疑いたくなるのは当然ですが、読むとわかるとおりそんな装いは微塵もありません。これはれっきとした本格推理です。しかも、かなり王道の。

最初から犯人が提示されているからといって、推理の手順をないがしろにすることはまったくなく、本格推理のおもしろさを存分に堪能できます。神様が犯人を提示したとしてもそれが本当に正しいかどうかは確かめようがないですし、結果としてネタバレがネタバレとして機能せずミスリードのようになっています。

良くもわるくも神様中心。「さよなら神様」は神さまに翻弄されることで、いっそう味わいが増します。そのあたりは実に巧妙です。

■神さまとの決別

いちばんおもしろかったのは、物語の終盤にきて、神さまと対峙する場面です。

神さまは何でも与えてくれるすべてお見通しの全知全能なる存在で、我々は神さまに翻弄されるだけのちっぽけな存在かと思いきや、決してそんなことはありません。自分の力でつかみとった真実はなによりも強い。それは神さまであっても敵いません。それが、愛する者を守ろうという想いならなおさらです。

神さまが提示する真実より、自分の内から湧きおこるそれを信じよ。何者にも頼らない強さとか、絶対者からの脱却。そういったメッセージが、この物語には含まれています。

-小説, 書評