小説 書評

戦場のコックたち│ 深緑野分

『戦場のコックたち』
深緑野分
東京創元社

ルイジアナ州にある雑貨店の跡取り息子ティムは、惣菜名人とうたわれる祖母の料理に慣れ親しみ、日がなレシピを眺めて過ごしている子どもでした。
ときは、第二次世界大戦。
欧州でナチス・ドイツ軍がフランスに進攻し戦線が激化、かたや真珠湾では日本軍が太平洋艦隊に奇襲を仕掛け、アメリカは戦争に傾いていきます。街の若者が次々と戦場に駆り出されるのを見て、ティムは志願兵に応募、G中隊の所属となります。

あるときティムはトレーニングに励んでいて、自分は軍人にむいていないのではないか? と気づきます。というのも、彼は射撃が下手で、足も遅く、動きが愚鈍だったのです。仲間は彼を”キッド”——図体ばかりでかい子供と呼び、いつもからかうのでした。

ちょうどそのとき、ティムは掲示板の貼り紙を見て、コック兵の募集を知ります。ティムにしてみれば、小さい頃から祖母の惣菜に慣れ親しんでいて、料理はお手の物。兵士の訓練に比べればいくらか自信があります。

一方で、ティムはコック兵になるのを躊躇します。それはコック兵が後方支援任務として軽んじられ、その地位が著しく低く見られていたからです。基地の料理はまずく、厨房の仕事は面倒で、芋の皮むきと皿洗いの類は、軍規違反者の懲罰になっていました。いってみれば、コック兵は落伍者のように扱われていたのです。

■エド現る

が、そんなあるとき、G中隊にエドワード・グリーンバーグなるコック兵がやってきます。エドはコック兵でありながら優秀な軍人で、皆から一目置かれるキレ者でした。

そんなエドから「コックにならないか? 俺は味付けに興味がなくてな」と誘われ、ティムはコック兵になることを決めます。そして食材を調理し、糧食レーションを配り、軍隊の胃袋を管理しては、特技兵の仕事をしっかり果たしていきます。

やがて訓練があけると、ティムはC47輸送機に乗りこみ欧州戦線にむけ出発し、フランス・ノルマンディーでパラシュート降下作戦に参加します。そこからドイツ軍と戦闘を繰りひろげ、アンゴヴィル=オ=プランの占拠やマーケット・ガーデン作戦、バストーニュ防御戦線など転戦していきます。

進軍するなか、G中隊にはなぜか、パラシュート収集事件、粉末卵消失事件、両手を握りしめ自殺した夫妻の密室事件、死体を突き刺す幽霊といった奇妙な事件に遭遇。ティムはエドの助手として事件を解決し、と同時に仲間との絆を深めていくようになります。

■軍人になるということ

これは田舎生まれの青年が、過酷な戦争体験や同僚の死を経験しながら一兵士へと成長していくビルドゥングスロマンです。戦場という過酷な状況下では、死の恐怖にさいなまれます。それは次の瞬間わが身に死がおとずれる恐怖であり、いっしょに戦っていた同僚が一瞬にして命を奪われる恐怖です。恐怖と悲しみで神経が削られ、自分を消耗し、虚しさがこころを占めていきます。

それはティムも同じで、ティムは友を喪った悲しみに打ちひしがれ、戦争という現実とむきあいます。物語の終盤にかけ、軍規違反の危険をおかしたティムは、かつての仲間に手を貸し、捕虜の脱走を企てます。上官からの命令をものともせず、仲間の協力を募り、知恵をしぼり、自らの覚悟で行動します。そして試練を乗り越え、仲間を救いだすことに成功するのです。

軍規違反をかえり見ず行動をおこすティムの姿は、前半の”キッド”とまったくちがっています。その変貌ぶりに驚かされます。そこにいたのは子供と揶揄された愚鈍な兵士ではなく、戦争で生きる術をみにつけた頼もしい古参兵の姿でした。悲しみにとらわれることなく、過酷な戦場とむきあい、それでもなんとか前にすすもうとする。そこには、ひたむきな強さが描かれています。

悲しみを消すことはできないし、簡単には癒えません。しかし悲しみは抱えながらも、前にすすまなくてはいけないのです。この物語でいちばん胸を打つのは、傷つきながら、みずからの意思ですすもうとするティムを見たときかもしれません。

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