小説 書評

呪文│星野智幸

「呪文」
星野智幸
河出書房新社

メキシコ・サンドイッチのトルタ屋をはじめた青年・霧生が、店の経営が苦しくなり、夢破れ、人生に息詰まるお話しです。霧生はメキシコでトルタ修行を終え、はりきって開店したものの、売上はあがらず、経営は低空飛行を続けています。

店をかまえる松保商店街は、憧れの街ベスト5にランクインする夕暮れが丘の隣にあるだけの、割安な地代しか特徴のない中途半端な場所で、店は定着せず次々とつぶれ、斜陽の一途をたどっています。商店街にきたときは歓迎された霧生でしたが、つぶれた店への冷ややかな態度を見ていると、まだまだ商店街の一員として認められたとはいえず、不安の種はつきません。

トルタ店を軌道にのせようと懸命に働く霧生の姿は、健気を通りこし憐れです。十二時に寝て朝四時半に起床、あとは働きづめで店を開けているのに、採算ぎりぎりのラインの一日五十個、売上目標二万円の半分にも達していません。厳しい現実を突きつけられ、霧生の自信はこぼれ落ちていきます。

資金繰りに困った霧生は、図領に相談をもちかけます。図領は五年前に松保商店街にやってきた居酒屋「麦ばたけ」の店主で、店は比較的順調、しかも商店街理事長の娘と結婚し、商店組合の事務局長を任されるなど若手リーダーと目されています。

期待して相談したものの、図領の返答は厳しいものでした。図領は、商店街組合の融資部門を通じて超低金利で資金を貸す代わりに、基本的な方向性を決めたら、それに沿って営業してもらうといい、経営権委譲を持ち出します。どうしても経営権を渡したくない霧生は、資金を借りるべきか否かを考えあぐね、結論を出せぬまま、問題を先送りします。

ネットの英雄

そんなあるとき、松保商店街で問題が生じます。図領の居酒屋で不手際が生じ、客が難癖をつけはじめ、その客が有名ブロガーだったことから大々的なクレームに発展。ブログを読んだネット民は過剰に反応、便乗バッシングがはじまり、商店街に苦情が殺到します。さらに金属バットをもった三人組が暴力居酒屋、悪徳商店街に気をつけましょうといいながら練り歩く事態となり、露骨な嫌がらせにより、商店街の客足は止まってしまいます。

難しい立場に追いこまれた図領でしたが、そこは彼もしたたかで、クレーマーを逆手に反撃に出ます。図領はブログに、「クレーマーを許すからエスカレートする。暴力をゆるしていいんですか?」と声明文を掲載、「相手が無理難題を突きつけてきたときは、きちんと反論すべきです」と毅然とした態度に出ます。するとクレーマーに屈しない図領の姿がネットで称賛され、拡散が閾値を超えるや、その名前が爆発的に広まるようになります。

現代のサムライ! こういう人物を我々は待っていた。勇気をありがとうございました! といった声が相次ぎ、店まできて握手を求め、ツーショット写真を撮る客が現れるなど、図領フィーバーが巻きおこり、翌日、翌々日もネットと口コミで客は増えつづけ、店に入れない客のために立ち飲みコーナーが設けられるなど、気がつけば、商店街には多くの人で賑わっているのでした。

卑劣な暴力を退けた自信から、図領フィーバーはお祭り状態に移行、熱狂とともにピークをむかえます。
そんななか、図領は商店街活性プロジェクトとして、”未来系”なるグループを結成。自分の地位を確かなものにしていきます。
未来系は、有志メンバーによる商店街組合ではできないことをする組織で、お客さんが安全快適に松保商店街で気晴らしができるよう、住民トラブル解決にも取り組むという趣旨で始まったものの、次第に図領シンパとして影響力を強めていきます。

図領が英雄として祀られるなか、霧生は孤立を深めていきます。トルタ店の経営はいよいよ深刻になり、状況からして商店街の融資部門にたよらざるを得ないのはわかっていながら、態度を保留。熱狂する若者たちの間に入れなければ、未来系に入って図領に仕えることもなく、中途半端な位置のまま取り残されます。それどころか図領を英雄視する空気に、ほとほと嫌気がさすのでした。

妙な空気と経営難。出口の見えない状況に、霧生は身動きがとれなくなっていきます。

ネットと欲望

この物語では、熱狂や群集心理の作用がドラマチックに描かれています。受領のクレーマー撃退劇がきっかけとなり、ブログから拡散、ネット民の反応から社会に伝播する過程は特徴的なシーンです。

このご時世、クレーマーに構っている暇もなければ、クレーム対応したからといっていちいち英雄扱いされるはずもなく、そういう意味で、この展開は安直だなと思います。ブログやネットへの影響を過大評価しすぎていて、ブログに声明文を載せたら即英雄という流れが、いかにもご都合主義です。

とはいえ、拡散ありきの安直なストーリーに興味をおぼえるのは、その根底にネットにおける「支配欲」を感じるからです。ブログ情報など微々たるものですが、それでも拡散し、熱狂し、社会に影響を及ぼしたいという欲がある点で、ネットは社会と強く結びつきます。

承認という「欲」。
拡散という「欲」。
社会という「欲」。

それを端的に抽出したという意味では、「呪文」はわかりやすいモデルといえます。しかも盛り上がる商店街の様子と対照的に、主人公は集団から取りのこされ惨めになっていくのですから、これはなかなか効果的な演出です。

自立と孤独のはざまで

「呪文」のおもしろさは、孤高をつらぬく覚悟と、孤独に圧しつぶされる不安の葛藤にあり、ぎりぎりの間に立つ霧生が、惨めさを噛みしめるところにあります。追いつめられた霧生は、店を手放す段となり、思いの丈を語るのですが、その場面はとても印象に残っています。

岐路に立ったとき、霧生は夢を追いかけるだけの脆弱な「個性」をとるか、責任を引き受ける強固な「自立」をとるか選択をせまられます。また個性も自立も捨て、その他大勢の空気にしたがう道もありでしょう。

しかし霧生はいずれも選択しません。
それは決して彼が優柔不断だからではなく、どこか心の奥で、そうじゃない、そうじゃない! と叫んでいるからだと思います。周囲が熱に浮かされ、図領フィーバーがおこるなか、彼は自分だけが正しいと信じ、取り残されていく。そのとき正しさを信じて行動に移せるかどうかは、自分の勇気にかかっています。

霧生はなにと戦い、なにに立ち向かったのか。それは同質性だとおもいます。ネットの情報が一気に拡散し、みんなで行動を起こす同質性に胡散臭さを感じ、だけど仲間外れにされるのは嫌なので胡散臭いと知りながら、全体の行動に従おうとするのです。それこそが自分の弱さだとも知らずに。

それにしても、拡散と同質性は現代の病巣のようにおもえます。世の中が「呪文」のようにならなければいいのですが。

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