小説 書評

その可能性はすでに考えた│井上真偽

『その可能性はすでに考えた』
井上真偽
講談社ノベルス

上苙丞は、知識満載の探偵です。文理の学問から時事・生活雑学にいたるまで幅広い見識を有し、その海馬にはカプレカ数やら異端審問の拷問といったガラクタ同然の情報が詰まっています。一言でいうなら無駄に博識です。

金貸しの姚扶琳───彼女は探偵の相棒をつとめることになるのですが───は、上苙をして、この阿呆はなぜこの知識をもっと役立つことに使わないのかと評しています。

上苙が変わっているのは奇蹟を求める点で、この世に奇蹟が存在するという妄執にとりつかれる彼は、奇蹟を証明せんがために、探偵という職業に就いています。上苙自身「奇蹟は世界で最も美しい真実です」という信念をかかげていて、探偵として変わり種であるのはもちろん、この一風変わった信念によって、彼は完全にダメンズと化しているのです。そのダメっぷりは"豚小屋にあらわれた孔雀"のごとく。才気あふれる男が、ひとつの大欠点を有するがゆえに、他の美点をことごとく殺してしまっている、その典型例が彼なのです。

例えば、上苙は金貸しの姚扶琳から一億四千万ほど金を借りていて、利払いだけで百七十五万もあって、もちろんそんな金額を支払えるはずもなく、それをわかっていながら彼は、表面波探査装置なるわけのわからない機材を購入しようと追加借入の話を持ちかけます。聞けば土砂埋め立てトリック仮説を検証するために、その機材が要るのだとか。なんですかね。その土砂埋め立てトリックって。まったくもって救いがたい男です。

事件のはじまり

そんな上苙のもとに、仕事が舞いこみます。依頼人は渡良瀬莉世。莉世は田舎の山里で集団生活していたところ、とある事件の当事者として生き残ります。そして、その事件をきっかけに、自分は人を殺したかもしれないと考えるようになります。

話によると莉世は、新興宗教団体<血の償い/アポリュトーシス>のもとで生活し、家畜を飼い、水を引き、作物をそだてるなどつつましく暮らしていました。しかしあるとき、地震がおこり滝が枯れると、平穏な村での生活は一変します。滝枯れを終末予言ととらえた教祖は、ダイナマイトをつかって村の出入口をふさぎ、信者を拝殿にあつめそこで寝泊まりするよう命じます。

そのあと宴がひらかれ、どんちゃん騒ぎやキャンプファイヤーなど、信者たちは最後の晩餐をたのしみます。三日ほど経ったころ凶行がはじまり、禊を終えた教祖は、信者全員を祈祷の間にあつめ、順番に信者の首を斬り落としていきます。突如はじまった集団自殺にパニックとなり、莉世は、仲のいい高校生・ドウニ少年とともに、祈祷の間から逃げおおせます。やがて村に火が放たれ拝殿に炎がせまると、ドウニ少年といっしょに逃げていた莉世は、途中で気をうしないます。そして次に目覚めたとき、洞窟のなかで生首となったドウニ少年を見つけるのでした。

ドウニを殺したのは誰なのか?

当時村にいたのは教団関係者だけで、莉世とドウニ以外の全員は、施錠された拝殿のなかにいて、誰も外に出ることはできませんでした。状況からしてドウニ少年を殺せたのは莉世以外になく、にも関わらず肝心の莉世当人は、遺体も凶器も動かすことができなかったのです。そんな不可能状況をふまえ、莉世は、自分がドウニ少年を殺したのではないかと思いこんでいます。それだけならまだしも、彼女は、首を斬られたドウニ少年によって救い出されたのではないか───と、なかば本気で信じているのでした。

話を聞きおえた上苙は依頼をうけ、莉世が犯人でないことの証明、つまり不可能状況をくつがえすような奇蹟の証明に挑んでいきます。

論理のアウフヘーベン

上苙のまえに次々とライバルたちが現れ、推理合戦を繰りひろげます。その推理合戦が一風変わっていて、たとえば元検察の老人が上苙をみて、詐欺師が善良な市民を謀ろうとしていると罵り、アポリュトーシスでおこった事件を解明しようします。ライバルたちは丁寧にトリックを解明していくのに対し、かの探偵は悉くトリックを否定します。

通常のミステリィにおけるトリックの証明、これは謎―解明といった手続を経るのですが、この話では、トリックの証明―反証というかたちですすみます。珍しいといえば、これほどめずらしい展開はありません。

当然のごとく、最初読んだとき疑問が湧きました。どうして探偵がトリックを否定するのか? なんだ、その展開は――と。

この物語は、のっけから役割分担がおかしいのです。探偵なる者は推理小説においてトリックを解くのがその役目であるにも関わらず、わざわざそれを反証するのですから自己矛盾もいいところです。探偵が反証するということは、最悪、延々とトリックを反論したまま話がおわる可能性があり、ストーリーが収束しなくなります。なのに、ライバルたちがトリックを証明しては探偵の役目を果たし、かたや上苙は、反証をくり返して謎解きを妨害しつづけます。つまり物語における上苙は、探偵役を否定することにあるのです。

それは探偵という役割上あきらかに矛盾をはらんでいます。なぜこんな関係が生じるのかずっと疑問でした。が、しかし、この一見すると複雑な証明―反証の関係が、終盤にきてがらりと変わります。その変わりようはまさに鬼手。上苙が真の意味で探偵となるそのターニングポイントは、正と反をあわせた〈止揚アウフヘーベン〉となり、「その可能性はすでに考えた」を別次元のおもしろさへ引きあげるのです。

論理パズルでこういう使い方ができるとは思いませんでした。終盤の一手はなかなか斬新です。まるで小さな的を遠くから見定め、狙いすましたかのように一点を貫いています。一点に集約された論理展開はお見事。

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