小説以外のもの 書評

これがニーチェだ│永井均

『これがニーチェだ』
永井均
講談社現代新書

ニーチェ像

ニーチェの生きた十九世紀は、帝国主義の時代であり、資本主義によって人々が孤立する時代でした。資本主義では、生産余剰の在庫調整が不均衡をもたらし、それを解消すべく需要拡大をもとめ、結果、戦争にいたるのがパターンでした。市場均衡は神の手によって決まるにも関わらず、きまぐれな神は効率的な資源配分だけに作用し、人々に富をもたらすことはなかったのです。ましてや、戦争についてはいわずもがなです。

いってみれば資本主義は、資本家によって富を搾取するシステムであり、また戦争にいたる不治の病であり、社会システムの限界を露呈するものとして、人々に暗い影をおとしていたのです。当時の人々からすると、無慈悲な神の手からいかにはなれ戦争を回避するかが重要で、どうやって資本主義から脱却するか、そのことが課題になっていました。

そして行き場をうしないつつあった資本主義を打破し、新たな社会システムとして名乗りをあげたのがマルクス主義です。マルクス主義は効率的な資源配分を可能にし、計画経済により国の経済発展させ、所得の再分配を提示してみせます。所得の再分配により、富の偏りを解消し、労働者にたいしそれを分配する。富が偏らない平等な社会を提示することで、マルクス主義は労働者の期待にこたえようとします。そして、このことによりマルクス主義は改革の旗手となり、社会をバージョンアップすべく広まっていきます。

ちょうどそのとき、マルクスとは正反対に凋落の一途をたどった哲学者がいます。稀代の思想家・ニーチェです。ニーチェが見向きもされなかった理由は簡単で、彼の思想は、現実を変える力をまるで持っていなかったからです。

「これがニーチェだ」の冒頭では、

”思想家として見れば、ニーチェは完璧に敗北した。彼は、世界解釈の覇権を完全に奪われた思想家である。ニーチェに思想的な意義があるとすれば、それはこの敗北の完璧さにあるだろう。その敗北の完璧さによって、逆に、ニーチェは今日の時代の本質を射抜いている。”

と述べています。いかにニーチェが惨敗だったか、そのことがよくわかる一文です。

第二次世界大戦を経て、一九五〇年代から六〇年代になると、構造主義が隆盛を誇るようになります。そして構造主義が台頭するとともに、ニーチェの思想も息を吹きかえすのですが、それはニーチェの復権というより、マルクス主義の反動ないし解体というべき運動でした。完膚泣きまで敗北したニーチェが、マルクス主義の解体によって陽の目をみるのは、ある意味、皮肉だなとおもいます。

孤独と達観

ニーチェは、とかく孤高です。舌鋒鋭く、純粋培養のごとき理論をふりかざし、大展開をみせる思想は、どこか誇大妄想めいています。偏屈ここに極まれり。それを地でいく感じですが、偏屈に偏屈をかさねた理論があまりに優れていて、ひとつの芸になっています。

たとえばニーチェは、アンチキリストにおいてキリスト教を批判します。その批判はこのうえなく辛辣です。たしかに時の権力にすり寄ろうとする怪しげな学者たちに比べればずいぶんマシですが、ニーチェが権力批判の反射的効果として民衆の味方となりえたかというと、そんなことはありません。

むしろ逆で、ニーチェは民衆を批判しています。それはキリスト教批判とおなじくらい、辛辣で、容赦ないものです。ニーチェの代表的な主張であるルサンチマン───それは感情の反芻を意味し、辛かったことをいつまでもこだわる態度をいうのですが───ルサンチマンを主張するとき、ニーチェの目には、民衆の妬みや嫉み、そして自立もせず甘えるだけのいやらしい姿が映っています。その厳しいまなざしは、不満をなげく民衆を責めているかのようです。

強きにすり寄らず、弱きにもおもねらない。

その態度はあまりに純粋/ピュアで、厳格/シビアです。何者にもぶれることなく主張が一貫している。それが特徴といえば特徴ですが、そこには他者への拒絶、すなわち誰とも相容れない硬さのように思えます。 

話はかわりますが、日本の宗教を考えると、たいていどの教派も特定の支持基盤をもっています。臨済宗でいうなら、幕府や武家に取り入ることで着実に勢力を固めているし、真言宗や日蓮宗でいうなら、受け入れやすい教義を前面におしだして民衆の支持を得ています。つまり、宗教はそれが生きのこる過程で、権力か民衆いずれかの支持をとりこまなくてはいけません。

このことを踏まえると、ニーチェが敗北した理由も、なんとなくわかります。権力にも民衆にも阿らないニーチェは、確固たる支持基盤を持ちえません。が、おそらく、ニーチェはそれすら意に介していないのでしょう。なぜなら彼の主眼は、支持基盤をもつことではなく、思想をつらぬく純粋さにあるのですから。

パースペクティブの変換

ニーチェの思考は哲学の枠におさまらず、その広汎さと抽象度の高さは、他の哲学者にくらべて頭ひとつ抜けています。どちらかというと、哲学というより思想のほうがしっくりきます。とはいえ、思想のわりに支持基盤をもなく、人口に膾炙するだけの単純さと受け入れやすさもなく、あるのは耳に痛い批判性と理解しがたい抽象性ですから、これはいかにも致命的です。

哲学と共通しているのは、ニーチェの問いです。おそらく問いによって観点を抜け出す力が、他の哲学者よりも強いのです。『これがニーチェだ』の一節では、

”哲学は主張ではない。それは、徹頭徹尾、問いであり、問いの空間の設定であり、その空間をめぐる探求である。
だから、哲学における主張は、それが切り開いた空間の内部に、必ずその主張に対する否定の可能性を宿しているし、問いの空間の設定それ自体もまた、その空間自体を位置づける更なる対立空間を暗に設定してしまっている。”

と示されています。
問いのデザインというものを考えたとき、ニーチェのデザイン性は格段にすぐれています。いやひょっとすると、ニーチェよりすぐれた哲学者はいないのではないか───と思えるほどです。

哲学は正解がなく、あるのは問いと問いをささえる視点のみです。観点を抜けだすというのは、視点の変換にほかならず、視点の変換は、そのまま哲学的な空間デザインの変更を意味します。ニーチェは、この空間デザインの変更が得意なのです。

最初の問いかけはアンチキリストだったりルサンチマンとしてはじまり、それが次第に根深い部分の批判に到達し、批判をぬけだすかたちで観点が上昇します。観点の上昇は、最初の問いの空間の破壊にほかならず、破壊したところから、さらなる空間が広がります。そして上昇するたびに、ニーチェの思想は敗北へとむかいます。そのあたりが、ニーチェ流の無常観だとおもいます。

つきつめた感受性

では、ニーチェの特徴、すなわち哲学的空間から脱する力は、どこからくるのでしょう。その手がかりは下記の一節にあります。

”その根源にあるのは「どんな接触をも痛ましいほど深刻に感受するがゆえに、およそもう「触れて」ほしくない」というこの表現に、私はニーチェ自身の感受性の型を感じる。”

そう、いわずもがな、ニーチェは感受性が鋭すぎるのです。感受性のつよさが排他となり、排他が抜け出す力として作用し、そのことがパースペクティブの変換につながっていきます。ニーチェという稀有の思想家を感受性という一点で眺めるのは、ある意味、斬新でした。そしてこの感受性理論は、とても理解しやすいものがあります。

優れた空間デザインも支持基盤をもてない理由も、孤高をつらぬく意思の強さも、そしてときに神経過敏にみえるその弱さですら、根本にあるのは人並みなずれた感受性です。ニーチェの感受性はもはや「業」といえます。そして敗北へとむかうのを受け入れ、受け入れがたい葛藤を抱えつつ、それでも前に進もうとする。それが、ニーチェのもつ「業」なのでしょう。

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