小説 書評

我が家のヒミツ│奥田英朗

「我が家のヒミツ」
奥田英朗
集英社

家族なのに云えない。
家族だから云えない。
そんな家族にまつわる悩みを描いた短編です。

シニカルな視点と人を食ったような笑い、それにテンポの良さが相まって、小気味よく話が展開していきます。読んでるときの心地よさは抜群で、行きたいところにすっと運んでくれます。

偶然は突然に

いずれも傑作ぞろいですが、特におもしろかったのは「虫歯とピアニスト」。小松崎敦美は、何事にも慎重で無理もしなければ高望みもしない、控え目を旨とする女性です。二四のときに夫と知りあい、三年つきあったあと自然ななりゆきで結婚し、今に至っています。

結婚を機に信販会社を辞めた敦美でしたが、再び、歯医者で働くようになり、その受付でとあるサプライズに遭遇。大西文雄と名乗る急患をみて、彼女は目を丸くします。

大西は全国を飛び回る著名なピアニストで、なにを隠そう、敦美は彼の大ファンだったのです。大西が来診にきて顔を腫らす姿を見るうちに、自分しか知らない秘密を手に入れた気分になり、講演スケジュールにあわせて治療の予約を入れるなど、なかば秘書のように振舞います。突如あらわれた憧れの人に、敦美はすっかり舞い上がってしまいます。

そんなあるとき夫の姉から電話がかかってきます。内容は埼玉の母のことで、義母は、敦美に子どもができないのを気にかけ、子どもができないのをそのままにしておくのはいけないとか、不妊治療した方がいいと気を揉んでいるのでした。その話を聞き、敦美はすっかり悄げこみます。

夫との間に子どもができないということは薄々感じていて、それは夫の孝明もおなじで、ここしばらくは夫婦のあいだで子供の話は触れないようになっていました。夫はどう考えているのか。強く子供が欲しいのか、出来れば子どもが欲しいのか。授からなければそれでいいのか。敦美の悩みは、日に日に重くなります。

そうこうするうちに、敦美は不妊の問題を忘れるようにコンサートに出かけ、ピアノの旋律にうっとりしながら、大西の虫歯を想像して、ひとり悦に入るようになります。そして、徐々に追っかけがエスカレートしていき───。

悲劇を喜劇に

奥田英朗の観察眼はたしかなものがあります。そのまなざしは古典でも空想でもなく、市井を生きる人々に注がれています。現代を生きる人たちの日常や葛藤を観るのに、これ以上確かな人物はいません。

不妊、妻に先立たれた父、市議に立候補した妻などセンシティブなものが多く、家族というジャンルのわりにテーマは重めです。そしてテーマがテーマだけに悩みはいっそう深刻になります。 

ふと、これは家族の問題でありながら誰にでも訪れる道ではないかと思いました。いわば人生のモデルケースであり、人生の縮図なのだと。

小説という空間のなかで、虚構だったはずのモデルケースが真実味を帯び、なにがしかの感情が心に迫ってくる。この過程は小説の醍醐味といえます。そして虚構のなかで真実が鮮明になるのは、面白くもあり、皮肉のようでもあります。

誰しも思いあたるテーマを取りあつかい、さりげなく対処法を提示する手法は非常に巧みで、結末に至ったときには、いいようのない優しさがこみあげます。そこに優しさを感じるのは、奥田英朗の共感が大きく作用しているからだと思います。

この物語は、基本、問題に立ち向かって乗り越え、努力のすえに解決する正攻法ではなく、問題をそのまま受け止めるかたちで描かれています。優しく受け止めるというか、包みこむイメージです。

それは、曖昧で無理をせず人間らしい対処法といえます。その根底にはあきらめがあります。人生における難題とそれを受け入れるときに生じるアレルギーを、おもしろおかしく論じています。そして悲劇を喜劇に変え、それでも結局は自分で受け入れていくしかないんだと、あきらめの重要性を説いているのです。

リアルを虚構に

奥田英朗のストーリーを読んでいると、私たちはいろんな問題を抱え力んでいるなと思います。人生という通り道では、避けがたいもの、自分ではどうしようもないもの、他人からみればどうでもいいことなど様々な難題があります。そういった難題に正解はなく、正解のないものを深く考えても意味はありません。

奥田英朗は、問題を抱えて知らずしらず力んでしまった私たちに、肩の力を抜こうぜと声をかけてくれています。そのメッセージを直接表現することなく小説という虚構に託すのですから、作家なるものは相当な恥ずかしがり屋でないとつとまりません。

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