小説以外のもの 書評

1995年 (後篇)│速水健朗

「1995年」
速水健朗
ちくま新書

技術

一九九五年の秋葉原はWindows95の発売で熱狂していました。当時の秋葉原は家電の街からパソコンの街へ変貌を遂げていて、家電量販店の前に行列がつらなり、深夜零時にカウントダウンとともにいっせいにWindows95が販売されました。ソフトを手にした人はこぞって 「劇的に使いやすくなる」「時代が変わる」 と口にしたものです。その様子は、玩具を手にした子どものようでした。

インターネットも発達していないこの時期、コンピューター時代の到来に喜びを爆発させたのですから、これ以上滑稽なものはありません。「1995年」の一節に、
"「ものすごく速い汽車に乗ってるけど、どこに行くんだろう」
というのが正直なところだった。"
というのがあるのですが、まさにそんな感じです。そして、いまにしておもえば、Windows95の熱狂がIT社会の序章 だったように思います。

iPadとiPhone

ただWin95とまではいかなくとも、おなじような現象はいまも続いていて、あたらしいiPhoneが出るたびにニュースになるのは、この騒動の名残りだとおもいます。
時代ごとにテクノロジーを追っていくと、Windowsの発売によりマイクロソフト社が有名になり、携帯電話とiモードによりdocomoが名を馳せ、スマートフォンの登場に際しアップルが復権を果たすといった流れになります。流れがおおまかすぎて、だいじょうぶかなと、いささか不安を覚えますが。

エンタメ

当時の若者───いわずもがな自分たちですが───は、ドリカムを聴きながら、恋愛を夢見るようなところがありました。大学にいったら一人暮らしして、デートするときはこんな場所でとか、車を買ったら別れ際にブレーキランプ五回点滅させるとか、恋愛のモデルケースがぎっしりと詰まっていました。 ドリカムで恋愛を予習 したというと大げさですが、ある種のモデルケースに憧れたのは事実です。
また一九九五年の音楽シーンは小室ミュージックが全盛で、バブル後とはいえ、クラブで踊る若者が多くいました。勢いが残っていたというか、バブルの背中を追いかけるくらいの元気はまだあったのです。

事件

一九九五年三月二〇日、戦後最悪の事件が発生します。地下鉄日比谷線、丸の内線、千代田線の車両で、同時多発的に強い刺激臭のある液体がばら撒かれ、具合がわるくなる人が続出。それが地下鉄サリン事件の幕開けとなります。事件が麻原彰晃を教祖とするオウム真理教の犯行であることが明らかになると、カルト集団が、国家中枢の霞が関を狙った大規模犯罪として、社会に衝撃が走ります。

日本社会VSカルト集団で報道は沸騰し、異様な雰囲気に包まれます。事件はなおも続き、警察庁長官・國松孝次が襲撃されると、真相は不明にも関わらず、あたかもオウムの報復とみなされ一触即発の状態になります。

究めつけだったのは、オウム真理教の信者名簿から、現役自衛官・警察官がみつかったことです。オウム信者がすぐそばにいるかもしれない。そんな恐怖が拭いきれず、事実、権力の中枢にオウムの手が確実に届いていて、社会的信頼がおおいに揺れました。

当時は、宗教ということばを口にするのも憚れる空気で、宗教はそのままオウムを意味し、カルト集団であり、日本転覆をもくろむ危険思想の持ち主のように解釈されたものです。事件に触れた人々は、いまでも宗教に対してアレルギーがあると思います。

振り返って

高度経済成長、バブルの到来、そしてバブル崩壊から金融危機を経て、停滞するロストジェネレーションと時代は移ろいます。仮に、高度経済成長からバブルまでを「消費社会」とし、その後の金融危機とIT、デフレ基調の社会を「情報社会」と呼ぶなら、一九九五年は、消費社会と情報社会と結節点にあたります。

バブルが崩壊し、景気が後退にはいったもののまだ希望がのこっていて、にも関わらず、金融不安に転がりおちる過程で、わずかな希望も震災とオウム事件で霧散します。上がる時代と下がる時代があり、それが一瞬のうちに邂逅をしたのが一九九五年なのです。

最近はスマホとデバイス、そしてクラウドとwifi、Line、FaceBookといったネットサービスで充たされています。効率的な時間の使い方といえば聞こえはいいのですが、隙間なく埋められた時間はかなり窮屈です。よく考えるとこの状態は「全然暇にならずに、時代が追いかけてくる」と口ずさんでいた、あのときの歌詞のまんまだなと思います。とはいえ、あのとき描いていた二〇一五年といまの二〇一五年が重なるかというと、まるでそんなことはないのですが。

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