小説以外のもの 書評

近代政治哲学(前篇)│國分功一郎

「近代政治哲学」
國分功一郎
ちくま新書

近代とはなにか

近代といえば、ヨーロッパにおける市民革命から第一次世界大戦の終結までを云います。そして、その期間は国家が形成・発展した時期と重なります。「近代政治哲学」は哲学の系譜を追いながら近代を眺めるのが特徴で、ひとつは歴史における時代をとらえ、ひとつは空間における近代社会をとらえ、ひとつは知層における社会思想をとらえています。

近代はいかに成立したのか? という問いかけは、否応なしに、近代という時代を浮き彫りにします。
この本には、

ホッブス
スピノザ
ルソー
ヒューム
カント

といった当時を代表する哲学者たちが登場し、彼らの思想と照らしあわせながらすすむのですが、近代にせまる道程は、哲学者の考察以上に魅かれるものがありました。

ホッブズ

ホッブズの自然状態

ホッブスは著書リヴァイアサンのなかで、自然状態について、自分たちが欲するままに行動すると欲望と欲望がぶつかり、利害衝突が発生すると述べています。そして人間が相互不信におちいった結果、戦争がおこります。

自然状態がおもしろいのは、人間の平等について言及しているところで、能力の平等は希望の平等を生み、希望の平等が妬みを生むと綴っています。希望の平等において、人間は自分はあれが欲しいと思うようになり、と同時に、他者も自分とおなじように欲するにちがいないと考えます。そのため人間同士の欲望がぶつかり、相互不信ができあがります。平等から妬みが生まれるという論理は、たちの悪い皮肉にしか聞こえません。

■ホッブズのコモン-ウェルネス

ホッブズは、自然状態が戦争状態に至ることを前提に、自然権の放棄を提唱し、人間にあたえられている自然権を、ひとつの権力の下にあつめるようとします。これは、王政またはひとつの合議体に、強い権力をあたえるためです。

そしてホッブズは、自然権を行使するかぎり人間は戦争状態に陥ると主張するにも関わらず、コモン―ウェルスの段では一転し、自己の生命を保存するため全員が一致してその権利を放棄するといいだします。自然状態でバラバラだった人民が、コモン―ウェスルでは打って変わって協調性をみせるのですから、これ以上奇妙な理屈はありません。
自然状態のなかで、はたして全員一致の行動が可能なのか?
そのことは甚だ疑問です。

ありていにいえば、ホッブズの論理はコモン―ウェルスの拘束力の面で弱さをみせます。しかし、論理的に弱いからといってホッブスに欠陥があるわけではなく、むしろ逆で、論理的な弱さにこそホッブスの工夫と核心が隠されています。

■ホッブズの主眼

「強い権力を与えよ」といったとおり、ホッブスは主権を重視していて、正確にいうなら主権による秩序の形成を求めています。主権を重視したのは、当時イングランドで王政と議会が激しく争っていおり、王政と議会の二重権力構造を避けるためには、どうしても統一した強い力が必要だったからです。

そして、そこには国家創設期における事情が大きく作用しています。国家を国家たらしめるには、王政であれ議会であれ、人民がもっている権利を一か所にあつめること、つまり主権の重要性を人々に説くことが必要だったのです。

ルソー

■ルソーの自然状態

ルソーにおける自然状態は、ホッブズのそれとはまったく別物として定義されています。ルソーは自然状態において、人はバラバラの生きていて自然権を享受し、おもうがままに振る舞うと想定しています。ここまではホッブズとおなじですが、ルソーはさらに独自の理論を発展させ、自然状態のままでは戦争に至らないといいます。それは自然状態が戦争へと至ると説いたホッブズの内容とまるっきり逆になっています。

それはなぜか?

ルソーにおける自然状態は、人を縛りつける権力がなにもない状態を想定しています。人を縛る力がないため、誰かのもとに留まらねばならない力が作用せず、人がいっしょに住む動機がなくなります。そしていっしょに住む動機がない以上、人間同士ぶつかるはずがありません。ともすれば、戦争なんかおこりえないと、そういうふうに考えるからです。

この似て非なる思考から、ルソーが、ホッブスの思想を受け継いでいることが見てとれます。自然状態を前提にしつつ、それを一歩すすめ、より精緻な理論へと掘りさげる。だからこそ、ルソーは独自の自然状態にたどり着いたのです。理論のトレースと、トレースしたうえでの改変は、ルソーの得意技といえます。

■ルソーのコモン-ウェルス

が、ここでもルソーは画期的なアイデアを持ちだします。それがPeopleです。PeopleとIを区別することで、IとIではなく、IがPeopleと契約するというかたちを提示しています。ここにルソーのすばらしさがあります。ホッブズに倣いつつ、精緻な思考で議論を掘りさげ、結論を導きだす姿勢は、ここでも一貫しています。

■ルソーの主眼

ルソーは、民衆の力と政治体のをいかにむすびつけるかを重視しています。それはルソーの生きた時代がすでに社会形成され、民衆が相当程度の力を有していたことと無関係ではありません。ここが国家創世期を生きたホッブズとのちがいです。政治体による統治の根拠が重要となり、民衆の力をいかに国家に組み込むか、ルソーはそのことに腐心しています。

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