『タモリ論』
樋口毅宏
新潮新書
バイオレンスとセクシャルをひっさげ、文壇に殴りこみをかけた樋口毅宏、そのデビュー作が『さらば雑司ヶ谷』です。
そのさらば雑司ヶ谷のなかにはタモリに触れている箇所があって、正確にいうとそれは小沢健二に触れているのであって直接タモリに触れているわけじゃないんですけど、ミュージシャン小沢健二の素晴らしさを担保するかたちでタモリの会話がさらっと紹介されています。
「さらば雑司ヶ谷」を読みすすめていくと人類史上最高の音楽家は誰かという話が出てきて、そのときジョン・レノンを引き合いにしながら、
"オノヨーコをボコボコにしていた奴が歌う「愛こそすべて」っていうのは、原発による安全キャンペーンとどう違うんだい。そんなDV野郎がポップミュージック界最高の天才だって? 笑わせるんじゃねーよ"
とか
"あんなもんは、二〇世紀最高の過大評価だ"
とかいってコケおろしていて、さらに「ジャズの帝王」マイルスについて、
"マイルスほど偉大な音楽家がロックの歴史に存在したか。アルバムごとにまったく違う世界観を提示し、生涯を通して自分に纏わりつく固定概念を打破し続けた天才トランぺッターだぞ"
ともちあげておいて、じゃあ史上最高の音楽家は誰なのかとなったとき、最後に出てくるのがオザケンこと小沢健二なのです。
稀代の王子さま
小沢健二のなにがすばらしいのか? 樋口毅宏は語ります。それは「さよならなんて云えないよ」の歌詞のなかにあり、
"「むかし、いいともにオザケンが出たとき、タモリがこう言ったの。『俺、長年歌番組やってるけど、いいと思う歌詞は小沢くんだけなんだよね。あれ凄いよね、"左へカーブを曲がると、光る海が見えてくる。僕は思う、この瞬間は続くと、いつまでも"って。俺、人生をあそこまで肯定できないもん』って。あのタモリが言ったんだよ。四半世紀、お昼の生放送の司会を務めて気が狂わない人間が! まともな人ならとっくにノイローゼになっているよ。タモリが狂わないのは、自分にも他人にも何ひとつ期待をしていないから。そんな絶望大王に、『自分はあそこまで人生を肯定できない』って言わしめたアーティストが他にいる?」"
と切り出します。このオザケン論のなかにタモリ論が出ているわけです。自分にも他人にも、なにひとつ期待をしいないタモリというのが、妙に的を得ています。そしてこのことが、タモリの持つ不思議な魅力を解き明かしているように思えます。
タモリを観る
たしかにさらば雑司ヶ谷を読んだとき、これは慧眼だと思いました。と同時に、樋口毅宏は何者なんだ? どれだけ観察眼がすぐれているんだと思ったものです。いったいどれだけの人がタモリの抱える陰の部分に気づき得たでしょう?
いやきっとこのタモリ評は「どこぞの雑誌に載っていたに違いない。樋口はそれを引用したのだ」くらいに考えていたのですが、いまにして思えば、それは誤りでした。なぜなら、タモリの絶望に最初にきづいたのは、当の樋口本人ですらなかったのです───。
伝説のカメラマン
『タモリ論』を手にとったときすぐさま買わねばとおもったのは、やはりさらば雑司ヶ谷におけるあの一節を思い出したからです。なぜ樋口毅宏が、タモリの陰に気づき得たのか、それを知りたかったのです。『タモリ論』のなかで樋口は、タモリに注目するようになったきっかけを紹介しています。
樋口はコアマガジンという出版社に勤務していて、そこでエロ本の編集者をしていて、先輩社員やデザイナーからしごかれ、担当雑誌がなくなればいいと思うほど心底いやいや働いていたのですが、そこでひとりのカメラマンと出会います。それが佐々木教なる人物です。
" コアマガジンで僕は佐々木教という、歴戦のナンパカメラマンと知己を得ることになります。
八〇年代、佐々木教は原宿や渋谷に立ち、その日会ったばかりの十代の少女を言葉巧みに操り、ミニスカートを捲らせて、パンチラを撮影してきました。"
" ナンパ撮影するためには、対象となる素人を一瞬にして看破する能力が要求されます。脈がなければいくら「写真を撮らせてくれ」と頼んでも時間の無駄だし、そもそも声をかけること自体が徒労です。"
伝説のカメラマン佐々木がすごかったのは、見切りの速さ。瞬間的な洞察力とでもいうべきで、ナンパのために磨かれた特殊能力がタモリという人物を見極めたのです。ちなみに樋口毅宏本人は、伝説のカメラマンから以下のように評されています。
"「樋口は生まれてくるのが十年遅かったな」
「はい? どういうことですか?」
「おまえ"普通の女"が好きだろ」
「あ、はい」
「でもな、いまは"普通の女"はいないからな」
コアマガジンは天才・異才・鬼才の集まりでした。あまりにも普通な言動しかない僕を見切って、教さんはそう断を下したのでしょう。
ひとを見る目が凡人とは違うと感嘆したものです。理屈や理論ではない。直観力と感性が他の人たちと違っていました。"
ううむ。あんな小説を書く人が、普通の女が好きだなんてそんなことがあるんでしょうか。半信半疑の心境ですが、案外そんなものかもしれません。妙に納得できたりします。
タモリの孤独
そしてこのカメラマン佐々木教が、タモリをどう指摘していたかというと、
" いつしか話題は、教さんがむかし、「タモリ倶楽部」のゲストに出演したときの話になりました。
「タモリって、どんな人でしたか?」
特段、深い意味があったわけではなく、会話の流れから訊ねただけでした。しかしその返答は予想外のものでした。
「ああ、あの人はな、可哀想な人だぞ。恐ろしく孤独な人だ、あのタモリという人は」"
というのです。
見切りの達人───ブルセラ誌のカメラマンこそ絶望大王を見出した張本人なのです。
ナンパカメラマン恐るべし! どんだけ人を見抜けるんだよ。職業に貴賤はないといいますが、その人の持つ技術は正当に評価しないといけないと思いました。BIG3の一角タモリの秘密が、こんなことで暴かれてしまうなんて、ちょっと寒気を覚えます。
ウキウキウオッチング? まさか、そんな気分にはなれません。絶望大王にウキウキウオッチングなんて、全然、似合いませんから。