小説 書評

黒警│月村了衛

『黒警』
月村了衛
朝日新聞出版

近未来SFの警察小説を描いていた月村了衛が、現代に舞台を移すととどうなるか? それがこの「黒警」になります。

警視庁組織犯罪対策部の捜査員・沢渡は、ただ組織に従順であれ――上からそう言われて、働いていました。組織にうもれるなか、反発する気骨などなく、上に媚び下にもへつらい、横には気を遣う。可もなく不可もなくを理想とし、歯車の一員としてくすぶっていたのです。

過去を共有する刑事とヤクザ

あるとき、飲み屋ひしめく夜の街をあるいていると、沢渡は、滝本組の波多野と出くわします。波多野はこわもての武闘派、そして今どき珍しい人情派のヤクザでした。沢渡には波多野に会いたくない理由がありました。それはある種の負い目というべきもので、沢渡は、かつて中国人の女を見捨てたことがあったのです。

「救命(ジウミン)」
横断歩道をとびだしてきた女が、フロントガラスを叩き、沢渡に助けを求めました。見ると、女のうしろから、数人の男達が走ってきます。しかし沢渡は、飲酒運転していたのを理由に、仲裁に入らず、女を見捨て、その場を去ったのでした。 後日、沢渡は波多野と出会い、助けをもとめてき中国人の女が、男たちの手で殺されたことを知ります。自分は、女を見殺しにしたのではなかったか。沢渡の胸には、人にいえない深い棘がささります。その負い目は、波多野もおなじように背負っていました。ふたりは贖罪の意識にむしばまれていたのです。 

そんなとき、警察庁生安局長の肝煎りで「偽ブランド商品大量流通事件捜査本部」が立ち上がります。中国製の偽物と不正コピー商品の取り締まるなか、沢渡は街を歩き、中国のパッチもんを隈なく調べていました。

担当していたのは、坊主頭の幼児キャラクター・ペンちゃん。
――なにがペンちゃんだ。
ぼやきながら、沢渡は、コピー商品を扱う悪質な小売業者を何人も引っ張ります。

事件の真相と黒幕

そんな折、妙な噂を入手します。それは義水盟という組織に関するものでした。もっぱら特定の筋が扱っていることは判明したものの、当の義水盟が、福建か東北か、どこのグループなのか、組織の実態は明らかになりません。にもかかわらず、黒社会勢力の一角を占める天老会が、義水盟の沈という男とペンママに関する情報を捜しているというのです。

ときを同じくして、波多野が沢渡はのもとにやってきて、沈の話を持ちかけます。「早い話が情報交換だ。お互い損にならねえ話しだぜ。ペンママがなんなのか教えてくれるだけでいい。見返りにこっちはあんたの点数になるような情報を流す」

波多野は東甚連合に所属し、東甚連合は天老会と犬猿の仲で、ペンママの情報を先に握れば、自分の点数が稼げるというのです。しばらくして沢渡は、波多野とともに、ペンママの正体を教えてやるといわれ、義水盟の沈に呼びだされます。

ペンママとはは、カンボジア人の女性のことでした。彼女は、天老会と警察の癒着を記したノートを持っていて、そこには次期警視総監ともいわれる生安局長の秘密が記されていました。高遠は国際人材交流法案を画策し、規制を緩和して人の行き来を活発化させようとしていたのですが、その法案は、実質、人身売買を容易にするための抜け穴法案でした。それを裏から操っていたのが、他ならぬ天老会だったのです。

秘密を打ち明けたあと、沈は、沢渡と波多野に女を匿ってほしいと持ちかけます。警察が、黒社会の一味と手を組む。そんなことはありえない。そう思いながらも、沢渡と波多野の脳裏には、あの日、手をさしのべることなく死んでいった中国人がちらつくのでした。

描写かストーリーか

これは復讐劇です。力のない一個人が、権力者を倒すというストーリーになっていて、よどみなく流れていく展開はなんとも心地よく、無駄な描写に頁をかけないところは好感がもてます。

ここで、小説において描写は必要なのか? という問題があります。小説なるものは描写こそが大切で、比喩表現や情景描写といった文字の連なりをことさら大切にする人たちが存在します。しかし、小説はさして描写は必要ないのです。
必要ないというのが言い過ぎなら、描写に凝るかどうかは書き手の趣味にすぎません。描写が大切かどうかは、あくまで仕上げの作業、制作の二次過程になるのです。

だいたい、描写に凝る輩に禄なヤツはいません。そんな輩に限って、読み手に伝わらないような小難しい文章を書いたりします。描写に凝って、文章を悪くする。これこそ描写の罠というものです。

描写がなくても、小説は楽しめるということを月村了衛は証明してくれます。それは描写云々を抜きにしても、純粋にストーリーをたのしむことができるからです。

物語の構築と展開の妙は、もっと評価されていいと思うのですが、なかなかそういった見方はされないようです。
文章のうまさとストーリーのうまさはまったく別次元なのに、文字のつらなりに目がいってしまうのは悲しい評価――というか、いささか近視眼に思えます。

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