小説 書評 本について

李陵・山月記│中島敦

『李陵・山月記』
中島敦
新潮文庫

中国ファンタジー――ってちがうか。李陵は中学校の教科書で読んだことがあり、内容はなんとなく覚えていました。当時読んだときは、なんて青臭い内容だと鼻で笑っていたものです。若気の到りですね。ベタなストーリーなのでいまさら読んでもおもしろくもないだろうと期待してなかったのですが、意外に身につまされるところが多く、鋭く本質をつく観察眼は、なかなか真似できるものではありません。名作と呼ばれるだけのことはあります。

あらすじ

傪なる役人が、嶺南にむかう途中で宿場町に泊まります。翌朝、朝早く出発しようとしたところ、「人食虎がでるから止めたほうがいい」と町の人に止められます。しかしその助言には耳を貸さず、袁傪はそのまま出発してしまいます。
 そして道中、叢のなかから虎が飛び出してきて、袁傪に襲いかかるのです。ですが、襲いかかろうとしたその刹那、虎は身をひるがえし元の叢に叢にもどってしまいます。
「危ないところだった」
虎の言葉を聞き、袁傪は虎がかつての友、李陵だったことを知ります。そして李陵は後悔とともに、なぜ自分が虎になってしまったのかを話しはじめるのです。

人は誰でも猛獣使い

この話が怖いのは、李陵の過ちが誰にでも起こりうるからです。

”臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使いであり、その猛獣に当たるのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が虎だったのだ。”

虎になった李陵は、そう語ります。人間の欲望が無限であり容易に扱えない様を猛獣にたとえるあたり、かなりベタですが、意識の世界にあったものが、現実のわが身にふりかかり真にせまってくるその比喩として、これほどわかりやすい例はありません。

そして虎か魔物か、かたちが変わりこそすれ、人間の欲望がなくならない以上、欲望を飼いふとらせることは誰にでも起こりうるし、その結果欲望に支配され倫を外すこともありうるのです。

李陵が陥った姿は、ひょっとしたら明日のわが身かもしれない。そう考えると、このストーリーはちょっとしたホラーに思えてきます。 

この話で気に入っているのは、虎になった李陵が、決して人間の側に戻ってこないところです。李陵は叢という異界から抜け出し、こちらの世界に戻ってくることはありません。李陵は虎のまま、自分の体が人間でなくなるのを知りつつ、ただ岩のうえで吠えるしかないのです。
飼いふとらせてしまった欲望が、ひたひたと背後に忍びより、自分を乗っとるのを待っている。自業と知りつつ、自消を待つ。そんな状態に誰が耐えられるというでしょう。いやはや、なんとも怖い話です。

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