『信頼する力』
遠藤保仁
角川oneテーマ21
二〇一〇年、南アフリカの歓喜──。
その歓喜の現場でピッチ上の監督たる遠藤保仁が、チーム状況をどう見ていたのか。その一端を垣間見るだけでも、この本は価値があります。チーム一丸となって走る膨大な運動量をほとんど守備に投入し、辛くも運を手繰りよせることでグループリーグを突破を果たした日本代表ですが、その戦い方に疑問をもった人も多いはずです。
だってそれまでの戦術が、前から積極的にボールを奪い攻撃に転じるスタイルだったのに対し、いざ本番になったら、岡田武がとったのはフランスワールドカップとほぼおなじ引いて守る戦術だったのですから。
あまりの変わり身に「おいおい」とボヤきたくなりました。
岡田武史
苦渋だったとはいえ、岡田監督の決断には驚きました。改めて、すごいなと。というか、よくできたなと。
指揮官の決断とそれを実行したチーム。教訓とすべき苦い経験があったという意味で、両者は共通しています。
一九九四年のフランスW杯で惨敗を喫した岡田監督。
二〇〇六年のドイツW杯を目の当たりにした遠藤保仁。
W杯は生半可なことでは勝てない。強烈なまでの負の記憶があったことは、想像に難くありません。そしてこのふたりが同じ方向を向くことがなければ、日本の快進撃もまた生まれなかったのです。
それにしても戦術変更にともない、愚直に従った選手に不満はなかったのか。すこしでも不満があるなら、あれほど統率のとれたチームに仕上がるはずがありません。そして戦術を変更するにあたりチームの意思統一はどのように図られたのか? きっかけはどこにあったか?
遠藤選手から見たリアルスコープに興味がそそられます。
コートジボワール戦
”6月4日、スイスのシオンでコートジボワール戦が行われた。この試合は、非常に価値のある試合だった。コートジボワールは、これまで対戦した中でも最も強かったチームだったからだ。(中略)0-2というスコアだったけど、手も足も出なかった。まるで次元が違った。逆にいうと、あれだけ好き勝手やられて、開き直ることができた。「こいつら、こんなに強いんだ」というのがわかって良かった。”
このとき危機感が高まったチーム内では、守備と攻撃の意見が分かれはじめた状態でした。しかし、コートジボワール戦でこてんぱんに叩きのめされたことで、チームの結束が高まったと、遠藤は明かしています。弱者としての自分たちを認め、やるべきことが明確になったのは、まさにこのときです。
至高のFK
とはいえ。あの短期間で本田ワントップに変更した戦術を、破たんすることなく機能させてしまう連携には目を瞠ります。組織力と走力、コンディション調整も含め、ありとあらゆる準備を完璧にし、運を手繰りよせなくてW杯には勝てません。
そのもつれるか細い糸を最後に手繰りよせたのが、遠藤保仁の戦術眼にあるのはまちがいないでしょう。