小説以外のもの 書評

政党政治と天皇│伊藤之雄

『政党政治と天皇』
伊藤之雄
講談社学術文庫

明治天皇の崩御から満州事変の田中義一までの日本の歴史が綴られています。この後に日本が戦争に突き進むことを考えれば、興味はふたつあって、天皇と政治の関わり方というのがひとつ、もうひとつは戦争にむかう前段階として大正・昭和初期になにがあったかということです。しかしそんなことを熟々と考えていたら「憲法改正」にぶち当たりました。

君主と政治

大正時代、天皇が政治にどう関わったか。それは立憲君主制になるでしょう。
立憲君主制とは、①通例、君主は庶民院の多数を形成する政派のリーダーを首相に任じ、内閣を組織させる。②君主は政治の情報・政策を知る権利と、それらへの意見を首相・閣僚など責任者に述べる権利はあるが、いったん内閣によって決定がなされたら、それに従う義務がある。③予想外の政治危機に際し、内閣・議会・政党がうまく機能しないときは、君主が国民の意思を反映する方向で、調停者として動くことは害にならない。
とする考え方をいいます。

憲法の文言上でいえば、天皇は、英国王室より強力な権限をもっています。しかし運用上は英国も戦前の天皇制も、ほとんど同じです。憲法上は天皇が統治するとの文言があるものの、天皇が介入することは皆無で天皇の名のもと権力を集めつつ、一方で行政、司法、軍の統帥といった権限を分散させておくという奇妙な統治形態を採っています。そして天皇と分散された権限の間に介入できない広範な空白地帯が横たわり、天皇中心でありつつ、決して集権的ではないこの統治形態が、後に禍根を残すことになるのです。

戦争責任と憲法

”明治憲法には大きな欠陥があった。それは、天皇の統治権を輔弼する最高責任者が誰であるかがあいまいであることである。そのため、危機の場合は、天皇か元老がつねに全体の調停をせざるを得ないしくみになっていた。とくに、統帥権の独立を背景とし、強い武力を有している陸海軍の統帥は大変である。これは一八八〇年代後半以降の明治天皇のように、円熟して、カリスマ的人気を備えた天皇か、伊藤博文や山県有朋のようなカリスマ的権威をもった明治維新の指導者でもあった元老か、あるいは原敬や明治維新の指導者でもある大隈重信のような政党指導者であるからこそ、対応できるものであった。”

元老なる制度はヨチヨチ歩きの近代国家・日本が一人立ちするまでの過渡的なシステム。そう割り切り、やがて元老がいなくなることを見据え憲法改正していれば、昭和に入ってあれほど混迷を極めることはなかったかもしれません。事実、明治期において憲法改正が動きが見受けられ、
”伊藤博文の暗殺され、大正天皇が心身ともに病弱なことや、明治天皇の業績を美化していく風潮も重なって、憲法改正は事実上不可能となった。”
となるに至り、憲法改正は先送りされてしまいます。 明治憲法の設計は、集中を嫌った結果の分権化にあります。統一できない仕組みにしておいて実質的に元老が掌握するというやり方が暗黙の前提にあり、元老がいなくなることと時代に適合しなくなることがわかっていながら放置した結果、先の戦争突入になるのです。

官僚の時代

戦争にむかう時代を眺めようとしたら、思わぬところで憲法改正を考えることになりました。あれほどうまくいった日本の戦後システムが、元老の位置に官僚が入り込んだと考えれば、官僚の見方もすこし変わってきます。憲法改正と元老と官僚の黒子関係は、脈々と受け継がれる日本のDNAようなものです。
官僚と戦後の政治家でコントロールをする以外に方法がなかったと考えれば、お上主導も高度経済成長も、戦前と地続きの関係にあるのだなと、そう思えてきます。

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