「評伝 川島芳子」
寺尾紗穂
文藝春秋
「東洋のマダ・ハリ」「男装の麗人」とよばれた川島芳子――。あたかも女スパイの代名詞のごとく描かれる彼女は、たんなる偶像ではないか? というのが本書の主張です。 川島芳子は清朝の血筋をひくお姫様でした。辛亥革命で清朝がなくなったのち、財閥・川島浪速に身を寄せていたのです。彼女がスパイ活動をおこなった形跡はなく、実態としては、彼女の清朝の血筋を利用するために色んな人が近づいてきたといったほうが正しいでしょう。血筋によって定められた清朝復辟の運命は個人の力では抗いがたく、また、近代化の要請として滅びゆく清朝も避けることのできない宿命にあったのです。
数奇な運命
読んでいくにつれ、川島芳子のアイデンティティが奇妙にねじれていくような気がして、切ない想いに駆られました。そしてねじれた運命が徐々に拡大していくため、修正できないジレンマも感じてしまいます。
日本で養育されたにも関わらず、日本から受けいれられることもなく、かといって日本を憎むこともできない。自分というものを規定しようとすればするほど、清朝の影が色濃く浮かびあがり、日本と清の二つの国家に引き裂かれてしまう。川島が背負わざるを得なかった「清朝の姫様」という偶像と、マスメディアがつくりあげた「男装の麗人」という偶像が、ねじれた運命のもとで生きるしかなかった川島の懊悩と、ぴたりと重なってみえます。