「四ツ谷先輩の怪談」
古館春一
集英社
学園と怪談
ベタなアイデアのくせに、けっこう読ませるマンガです。
怪談創作に並々ならぬ執着をみせる四ッ谷先輩は、学校に住み着くホームレス中学生です。事件がおこると、みずから創作した怪談で犯人を追い詰め解決してしまいます。ただ本人は事件の解決より、怪談の創作が専らメインで、人間の暗部をみつめてはニタニタしているといういけ好かない輩です。そして、犯人の抱える心の暗がりに迫ろうとする「語り」の異様さは、もはや中学生という設定を完全に超えていて、いうなれば変人です。
怪談というありがちなジャンルのなかにありながら、このマンガが特異なのは「怪」へのこだわりです。怪談には三つの要素があると四ツ谷先輩はのたまっていて、
①演出
②語り
③聞き手
だといいます。
現実に住む我々の世界から犯人の心の隙間に入りこみ、一瞬のうちに怪をのぞきみるのですが、その「怪」をのぞきみる瞬間に、先輩は人の心の闇にそっと優しく触れ、先輩の怪談をとおして犯人の心の闇がはっきり像を結びます。その一コマが妙にチラリズムで色っぽいのです。
人間の認識が主観というフィルターを通して理解されるなら、私たちのなかにチラチラと現れる妄想や想像は、主観に関して存在すると言い切れます。
<怪>は存在する。
<幽霊>は存在するのだと。
怪と真実
「怪談が、真実につながっていたとしたらどうする?」
この言葉は人間が怪にみせらる一面を指摘していて、怪異は主観においてのみ存在するものであり、そして主観こそが個人の認識としての真実にたどりつく唯一のプロセスだとするならば、人が怪異にみせられてしまうのはある意味で当然といえるでしょう。だとすれば、主観を前面におしだして怪異をファンタジーの世界に持ち込まむことも可能なのに、敢えてそれをせず、ぎりぎり現実の世界に留めおいて怪談を語ろうとするこのマンガのスタンスはとてもCoolですね。