小説 書評

久生十蘭短篇選

『久生十蘭短篇選』
久生十蘭
川崎賢子 編
岩波文庫

久生十蘭

久生十蘭は昭和初期の小説家です。
博識と技巧、スピーディーな文体から「小説の魔術師」と称され、現在活躍する作家のなかでもファンが多いことで知られています。

今回、初めての久生十蘭でした。
長くてしなやかな文章は独特で、最初はやや読みにくいと感じるところもあるのですが、徐々に慣れてくると、すっと入っていけるようになりました。読み終えたときに「へえ」となるのが印象的です。強烈なインパクトはない代わりに、端正さが際立った作家だと思います。

感想

この本に収録されている一編で『白雪姫』という作品があり、アルプスの雪山に出かけ、細君がクレヴァスに落ちるお話しなのですが、主人公の阿曽と細君のハナは、新婚早々に、モンブランの麓から六時間のぼったところにあるラ・トゥルという氷河に出かけ、ハナはクレヴァスに落ちて帰らぬ人となってしまいます。

阿曽は裁判にかけられ、「妻を憎んでいたため故意に殺害したのではないか」不仲だった妻のことを責められます。事実、ふたりの仲はそんなによくありませんでした。
しかし阿曽は反駁します。裁判の席で被告人・阿曽はハナを愛していなかったことを認めたうえで、こう述べます。

「愛してはいなかったが、捨てようと思ったことは一度もありませんでした」

愛情に溺れるでもなく、かといって見捨てるでもない。
このへんの端正さが久生十蘭という作家の『らしさ』かなと、思います。

さて、裁判が終わると阿曽は、氷河移動の研究に倣って、ハナが落ちたクレヴァスの近くに山小屋を建てます。
なんで小屋なんか建てたんだろう? って思いますよね。でもちゃんと秘密があるのです。
阿曽が小屋が建てた理由、流れた月日、そして短篇のタイトル
最後まで読むとそれらがストンと落ちてきます。その締めくくり方が、なんとも「へえ」なんですよね。

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