小説以外のもの 書評

優柔決断のすすめ

『優柔決断のすすめ』
古田敦也
PHP新書

‘95日本シリーズ。このシリーズは、古田vsイチローに注目が集まりました。シリーズ前から盛んに「イチロー封じ」が叫ばれ、野村監督がテレビ出演してイチローはインハイが弱点と言い切り、ささやき戦法に出たのは有名な話です。

覚えている人は少ないかもしれませんが、当時のオリックスの投手陣はかなり強力なものでした。その投手力は十二球団一といっても過言ではありません。なにせ先発には野田、長谷川、星野がいて、中継ぎは野村、鈴木平、さらに抑えには平井が控えるなど錚々たる顔ぶれだったのです。
特に中継ぎ以降の救援陣は驚異的で、一、二点あればほとんどゲームを決めることができるほどの鉄壁の布陣でした。とするなら、オリックスが試合に勝つためには一、二点取ればよく、その一点を取るために鍵となるのが先頭打者の出塁でした。つまりこのときの日本シリーズでは、一番打者・イチローの出塁が勝敗を大きく左右したのです。 なかなかクローズアップされない部分ですが、野村監督が心血を注いでイチロー対策をおこなった背景にオリックスの強力な投手陣があったとことは忘れてはなりません。

古田から観たイチロー

さて意外なことに、イチローをほぼ完璧に封じこめた古田は当時を振りかえって、「勝った気はしない」とのべています。
事実、イチローには本塁打も打たれていて、実際に対戦した捕手としては何とかやり切ったというのが本音のようです。ちなみに日本シリーズ自体は、オリックスの抑え・平井が機能しなかったこともありヤクルトの4勝1敗でおわっています。主導権をわたさなかったヤクルトの完勝でした。 

決断する技術

その古田ですが、野球において捕手ほど特殊なポジションはありません。なにしろ配球の組立てはもちろん、打者とのかけひき、守備位置、走者への牽制など、まるで生き物のようにうごめく試合の諸要素を絶妙なバランスのもとマネージメントするのですから。特に一点もやれない局面では一球ごとに状況が刻々と変化し、それはもう幾重にもからまった糸のように複雑化します。

 そんな過酷な状況を古田は、「いつも決断するのは十五秒ほどです。整理されていれば難しいことではないんです」とのべています。


えっ、十五秒? 本当にそんな短時間で決断できるのでしょうか。ちょっと信じられないくらいの短さです。
まず古田は試合前の準備として、相手チームの打者九人分の映像をチェックするそうです。しかも観るのはバッティングだけでなく、ミスしたあとのしぐさや性格まで及ぶというのですから、その資料は膨大を極めます。それをもとに頭のなかで、二、三試合分のシュミレーションしておく。

それが捕手・古田に課せられた仕事なのです。つまり実際の試合になると、古田はすっかり仕事を終えていて、なかば発表会のようなものなっているといえます。負けた試合であっても、古田が妙にサバサバしているのは、そのせいかもしれません。

IDよりも経験

この本のおもしろいところは、十五秒で決断しろといった古田が、その後しきりに肚を括れ、とのべていることです。
 決断するまえに迷いなさい。決断したあとは肚を括りなさい。決断したあとはIDよりも経験が重要になってくる。 最近の若い選手は経験をおろそかにすることが多いそうです。ときにはデータにとらわれずに思い切りプレーしたほうが打者をおさえることができるのですが、情報を鵜呑みにして、思いっきり投げることができていない。経験をおろそかにしないこと。 まずは思い切ってやってみる。データを活用しつつ、データだけに頼らないところに古田敦也の真骨頂があると思います。 

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