小説 書評

数えずの井戸

『数えずの井戸』
京極夏彦
中央公論新社

怪談 皿屋敷

江戸時代の怪談『皿屋敷』。それを下敷きにした時代小説です。播州が舞台の『播州皿屋敷』または江戸番町が舞台の『番町皿屋敷』が有名ですが、実は北から南まで類似の話が残っていて、そいういう意味では日本のどこにでもある昔話に近い気がします。

皿屋敷は以下のようなかたちをしていて、 
・奉公娘が主人の秘蔵するひとそろいの皿のうち一枚を割る。
・ もしくは、その娘に恨みを持つ何者かによって皿を隠される。 
・娘はその責任を問われて殺される。あるいは自ら命を絶つ。
・夜になると娘の亡霊が現れ、皿を数える。 
・娘の祟りによって家にいろいろな災いが起こる。 
というものです。

『数えずの井戸』はこの皿屋敷を下敷きに再構築しているわけですが、そこはさすが京極夏彦で「事はそんなに簡単ではない」といわんばかりに各々の人物の視点を掘り下げていきます。それがなんとも濃厚。できあがった皿屋敷は見事な群像小説となっています。

あらすじ

青山播磨は直参旗本青山家の嫡男で、心に欠落を抱え、虚無にみちた日々をすごしていました。そんな播磨は伯母にせっつかれ嫁をとることになります。

青山家にやってきたのは、大久保家の娘・吉良。吉良は祝言の条件として、青山家の家宝・姫谷焼きの皿が欲しいといいます。その申し出に応じるべく、側用人の十太夫が家中を探しまわるのですが、家宝の皿は一向にみつかりません。
──皿がみつからない。
たったそれだけのことで歯車が狂ってしまいます。そして青山屋敷には、しだいに悪意が吹き溜まりはじめるのです。

これは播磨が狂っていくお話しといえます。プロセスがものすごく静かで、狂っている。
当主の青山播磨 腰元の菊 側用人十太夫 菊の幼馴染、三平 播磨の悪友、遠山主膳 奥方の吉良 という六人の視点から、繊細かつ緻密に描かれるのが特徴です。『皿屋敷』という枠のなかでキャラクターの深遠な内面を描き、六人のキャラクターが集まって真ん中に空白を作ります。そして、その空白をぐるっとまわすことで、お話しはとんでもない惨劇へと向かっていく。

主人公は動かない

ひとりひとりはどうってことはないのに、人間が六人集まるとそれが相互に影響しあって、全体として「あれ、おかしいな?」っていう状況が生まれるのが京極流のドラマですね。


「数えずの井戸」はこのへんの作りが非常に京極堂シリーズと似ていて、行き場をうしなった人たちが犯罪に関与しそれを妖怪という説明体系に乗せて解決するのが京極堂だとするなら、登場人物の懊悩を怪談にのせて救ってしまおうというのが本作での試みではないでしょうか。
それにしてもこの本、分厚いです。六人分の懊悩が詰まってますから。
もう、みっしりです。

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