マンガの移動
年末年始に、本棚からマンガを移動した。部屋の整理をするとなつかしいものが出てきて手が止まるというのはもはやあるあるネタだが、それは本棚についてもあてはまる。
マンガを移動させながら、いろんなことを考えた。
サッカーマンガならジャンルを同じにしなくてはならない。いや待てよ、作者がおなじなら作者ごとにマンガをならべるべきか。そもそもジャンルと作者どちらを優先するのがいいか。でもそれとはべつに、このマンガとこのマンガは近くに置いておきたくないか。次々とアイデアがわいてくる。考えがまとまらない。
そんなことを繰りかえしているうちに、いつのまにか興奮しているじぶんに気づいた。
以前、僕はこれとよく似た経験をしている。
DAIKANYAMA T-SITE
代官山に蔦屋書店という本屋がある。
本屋というにはおしゃれすぎて、どちらかというとカフェにちかい。この店のおもしろさは本の置き方にあるとおもう。無造作にジャンル分けされた本棚は絶妙で、本棚をながめているだけでたのしい。この雰囲気はいちど味わってほしい。
代官山に蔦屋書店に行ったとき、どういう視点でこの本を置いているのか、その意図をつい考えてしまう。本と本のつながりが気になる。あれとこれがこうなって。ジャンルはちがうけど、テーマを考えるとこことここがつながるからなどと、さまざまな考えがとびかう。
本のつながりを探る行為は、思索を巡らせるのに似ている。
気がつくと、そのとき僕は本を手にとり、並びかえしていた。本をならびかえながら、「僕はこう思いますが、あなたはどうですか?」と心のなかでひとりごちていた。だれかに問いかけをしている気分なのだ。
問いかけをしている。
誰に──?
それはわからない。
でも、自分自身はたしかに、見たこともない誰かと話しているのだった。本を移動させながら、僕は見ずしらずのだれかと対話している。
本棚のルール
本棚にもルールがある
成毛眞
ダイヤモンド社
という本がある。この本は、メインの本棚をつくり定期的に本を入れ替えることをすすめている。自分だけプラチナ本を陳列して悦に入るのだという。じぶんが好きな本には一定の意味があり、その秩序を保つのに納得──安心感といってもいい──するのだろう。
じぶんの好きな本を並びかえるとき、おそらく本それ自体をあまり眺めてはいない。眺めているのは、本のなかにある文脈だ。本に書かれている意味をたどって、その意味の順番をあたえる。そして、並びかえる。いっけんするとわからない並びでも、知っているものからすればそこには明確な意味がある。
文脈をたどる過程は、思いのほかたのしい。
本か、本棚か
マンガを本棚に並び終えたところで、僕は一息ついた。
ここちよい疲労におそわれる。目のまえにはコンパクトにおさまったマンガがある。整理されてもいるし、やや乱雑なところもあった。意味が断絶されているところもある。
ここでひとつの着想を得た。
本を楽しくするのは本棚ではないか──と。
本を紹介するサイトはあっても、本棚を紹介するそれは見かけない。たまに見かける本棚紹介は、おもにDIYのサイトだ。壁一面本棚の作りを紹介していたりする。しかしそれは本棚の作り方であって、本のおもしろさにはつながらない。
なぜ、本棚と本のサイトがないのか。
こんなに楽しい作業だというのに。
疑問が頭をめぐる。
誰もしないなら、じぶんで始めればいい。
本と本棚のたのしみかたを綴ろうとおもった経緯は、こういったことによる。
このブログでは、本と本棚のたのしみかたを紹介していく。